【エッセイ】はじめての彼女|6年間の片思いと泡のような存在

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【エッセイ】はじめての彼女|6年間の片思いと泡のような存在
村上 亮一

最近、小学生の頃のことを思い出した村上です。

きっかけは、たわいもないことでした。

散歩していたら、ランドセルを背負った小学生たちとすれ違ったんですよね。

元気そうで、無邪気に、無敵みたいな顔をして、わーわーきゃーきゃーと走り回ってる。

「あぁ、あの頃の自分もあんな感じだったんだろうな〜」と、しみじみ眺めていたら——

ふと、彼女のことを思い出しました。

今回は、はじめての彼女のことを話したいと思います。

目次

学年のマドンナ

彼女のことは、小学1年生の頃から好きでした。

学年内でも、一際目を引くような女の子だったと思います。

いわゆる、マドンナです。

「あの子が可愛い」とは、男子の間でも共通認識で、かなり人気のある子でした。

私が好きになった理由はシンプルで、とにかく顔が好みだったから。

美人で、可愛い——

ただ、それだけ。

我ながら、清々しいほどのわかりやすさです。(笑)

ちなみに、これは初恋ではありません。

初恋はもっと前、保育園の頃にすでに経験していました。

だから、厳密に言えば「はじめての彼女」の話であって、「初恋」の話ではないのだけれど……

まぁ、だいたい同じようなものでしょう。

6年間、遠くから眺めていた

さて、私は1年生の頃から、ずっと彼女のことが好きだったわけだけれど——

何もできなかった。

これといったアクションも、アピールも、一切なし。

そもそも、積極的に何かをするような男ではなかったのです。

むしろ、好きな子がいるとなると、距離を置きたくなります。

近くにいると、緊張で何もできなくなるからです。

なんとも情けない話だけど、それが私という人間でした。

だから、ただ遠くから眺めているだけだったのです。

6年間、ずっと。

6年間、何もしないまま好きでいられた自分を、今となっては少しだけ誇りに思います。(笑)

純情というか、ひたむきというか……

とにかく、あの頃の自分は、愚直なまでに純粋でした。

突然の告白

そんなある日のこと。

小学6年生になった頃、突然、告白されました。

憧れの彼女から。

「好きだから、付き合ってください」

そんな、シンプルな告白だったと思います。

いや、本当にシンプル過ぎて、あっけにとられた記憶がある。

もちろん、即答でOKしました。

6年間ずっと好きだった相手から告白される——

これが、どれほど衝撃的な出来事か。

信じられない気持ちと、嬉しさで、有頂天になりました。

文字どおり、天にも昇るような気持ちとは、ああいうことを言うのだろうと思います。

気づいていた、なんとなく

ただ、ここで面白い話があります。

実は、告白される前から、なんとなく気づいていたのです。

「あっ、この子……。もしかすると、自分のことが好きなのかもしれない」

そんな感覚が、ぼんやりとあったのです。

もちろん、根拠なんてありません。

特別な言葉をかけられたわけでも、特別な行動を取られたわけでもない。

でも、何か、なんとなく、直感的にわかっていたのです。

何気ない仕草、視線の向き、ちょっとした雰囲気から?

「もしかして……」というアンテナが、勝手に反応していました。

当時はそれを「HSP」という言葉では表現できなかったけれど、今振り返ると、まさにHSPの気質がすでに顕れていたのだなと思います。

繊細で、敏感で、他人の感情の機微を読み取ってしまう。

「深く考える」「些細なことに気づく」「共感力が高い」——

これらは全部、小学生の頃からすでに備わっていた私の気質だったのだろうと思います。

知らず知らずのうちに、彼女の気持ちを察していたわけです。

あの頃から、私は「そういう人間」だったのでしょう。

それでも、何もできなかった

さて、めでたく彼女ができた私はというと——

何もできませんでした。

いや、本当に、何も。

デートなんて言葉は、辞書の中だけの話。

手を繋ぐどころか、一緒にいる時間すらほとんどありませんでした。

「付き合っている」という意識の中で、お互い、普通どおりに学校生活を送っていたのです。

文字どおり、付き合う前と何も変わりませんでした。

でも、不思議なことに、それでも十分に幸せだったのです。

「彼女がいる」——それだけで良かった。

「あの子と付き合っている」——その事実だけで嬉しかった。

周りが「あそこはカップルなんだ」と騒いでくれる——

その騒ぎを横目で聞いているだけで、嬉しさと優越感で満足できました。

今の私からすれば「それで良いのか!?」と突っ込みたくなるけれど……

まぁ、子供だから仕方ない。

そもそも、付き合うってことの意味を、何もわかっていなかったのですから。

ネットもない時代。

調べる術もない。

友達に相談したって、当然付き合ったことがないから、答えなんて返ってこない。

「何をすれば良いか」を知っている大人に相談できる環境もなかった。

せいぜい、一緒に下校するくらいが関の山なんだろうけれど、それすら恥ずかしくてできませんでした。

というか、自分が彼女のことを好きすぎて、緊張と恥ずかしさから何もできなかった、というのが正直なところなんですけどね。

意気地無し。

しょうもない男。

今でも、そう思います。(笑)

親にバレた、あの気まずさ

ひとつ、今でも鮮明に覚えているエピソードがあります。

付き合ってしばらくした頃、学校の行事でキャンプがありました。

親も参加するような行事だったのだけれど……

突然、そのキャンプ中に、母親から声をかけられたのです。

「あんた、◯◯ちゃんと付き合ってるの?」

相手の母親が、うちの母親に「付き合っている」と報告したらしく……。

めちゃくちゃ気まずくなりました。(笑)

恥ずかしさと、なんだか悪いことをしているような気持ちが入り混じって、素直に答えられませんでした。

いや、もちろん悪いことなんて何もしてないんですよ。

子供が好きな子と付き合っている——

ただ、それだけのこと。

でも、なぜか「悪いこと」のような、後ろめたいような感覚があったんですよね。

HSPの敏感さゆえだったのか、それとも単純に小学生の幼さゆえだったのか——

たぶん、両方だと思います。

そして、離れていった

結論から言えば、その恋愛は、早い段階で終わりました。

大した出来事も、大した思い出も作れないまま、気づいたときには関係が解消。

その後も、お互いに、中学 / 高校と同じ学校に通い続けました。

相変わらず、彼女は美人で可愛かった。

「あらためて付き合いたい」と思う瞬間も、「やっぱり好きだな」と感じる瞬間も、正直ありました。

でも、お互いに近づくことはなかったのです。

それぞれ、違う人と付き合ったり別れたりしながら、高校卒業を機に離れ離れになりました。

成人式で一度だけ再会したけれど、話した記憶もない。

それ以降は、一度も会っていません。

まるで、泡のような

なぜ、あらためて近づかなかったのだろう?

なぜ、告白もしないまま、離れ離れになったのだろう?

ふと、そんなことを考えます。

もしかすると、お互いに、あの頃の思い出を壊したくなかったのかもしれません。

小学生の頃の、あの純粋で、何も知らなくて、ただ好きでいるだけで幸せだった、あの時間を。

汚さないまま、きれいなまま終わらせたかったのかもしれない。

それに……

なんとなく人生には、「両思いだけど、付き合わない方が良い相手」というのがいる気がしています。

高嶺の花とは、ちょっと違う。

自分のものにできるけれど、自分のものにしたくない——

そんな矛盾した気持ち。

触れると壊れる気がするから、遠くから眺めているくらいがちょうど良い……

まるで、泡のような存在。

(ちょっと、クサい表現で恐縮です)

自分の勝手な解釈かもしれないけれど、あの関係は、そういうものだったのかもしれないと思います。

あの恋愛が、私の「原型」をつくった

振り返ってみると、とにかく純粋でした。

相手への気持ちも、自分の行動も、何もかもが。

純粋すぎて、不器用すぎて、それゆえに何もできませんでした。

でも、それで良かったのかもしれません。

あの恋愛が、私の中の「恋愛の原型」を作ってくれたのですから。

相手の感情を察すること。

距離感を大切にすること。

好きな気持ちを、ただ純粋に、ひたむきに抱き続けること。

これらは全部、あの経験から学んだことです。

あの頃の私が感じた「緊張」「恥ずかしさ」「嬉しさ」「有頂天」——

これらの感情が、後の人生における恋愛の「尺度」になりました。

恋愛って、何をどう感じるものなのかを教えてくれたのが、あの経験だったのです。

あの頃の自分は、何も知らなかった。

でも、何も知らなかったからこそ、感情だけが純粋に残りました。

しょうもない男だったけれど、悪くなかった

最近、小学生の頃の自分のことを、どんな目で見るかといえば——

「しょうもない男だったなぁ」と思いながら、同時に「でも、悪くなかった」とも思います。

6年間、ひとりの子のことを好きでいられた。

それだけで、充分じゃないか。

告白されたとき、全力で喜べた。

それだけで、充分じゃないか。

何もできなかったけれど、精一杯、その時の自分の形で、好きでいた。

意気地無しだったかもしれないけれど、それもひとつの「愛の形」だったと思います。

人生において、はじめての恋愛が「ドラマのように劇的ではなかった」からこそ、逆に純粋なものとして記憶に残っています。

あの頃の自分は、確かに生きていた。

確かに、誰かを好きだった。

確かに、その気持ちに正直だった。

思い出が人生を豊かにしてくれる

ランドセルを背負った子供たちは、今日もどこかで、誰かのことを好きになっているのだろうか?

そして、緊張しながら、恥ずかしがりながら、ドキドキしながら、それでも何もできないまま、時間をやり過ごしているのだろうか?

そんなことを考えたりします。

とはいえ、大丈夫。

それで良いと思います。

その感情すべてに、ちゃんと意味があるのだから。

その不器用な純粋さが、その思い出が、いつか大人になった時、人生を豊かにしてくれます。

私がそうであるように——

そんなことを想いながら、引き続き、納得感のある自分軸の人生を謳歌します。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

以上、村上 亮一でした。

村上 亮一

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