村上 亮一マルチクリエイターの村上です。
……という書き出しをするたびに、私は少しだけ”ためらい”を感じます。
そもそも「マルチクリエイター」って何だろう、と。
「それで、何をしてる人なの?」
こう聞かれたとき、私の頭の中では一瞬、奇妙な停滞が生まれます。
- 音楽をやっています。
- ギターを弾いて、曲を作っています。
- 文章も書いています。
- 絵を描くこともあります。
そう全部を言い終えると、相手の顔に少しだけ困惑の色が滲む気がするのです。
「えっと、つまり……何がメインなの?」
そう聞き返されることもあります。
実を言うと、直接ネガティブなことを言われた経験は、今のところありません。
でも、不思議なことに、言われていないのに不安になります。
「この人は私のことを、浮ついた人間だと思っているのではないか?」
「色々なことに手を出しているだけで、何一つ本気ではないと映っているのではないか?」
「真剣さが足りない人間に見られているのではないか?」
——そんな声が、頭の奥から聞こえてくるのです。
もちろん、これは他者からの批判ではありません。
自分自身が、自分を裁く声です。
そして、おそらく、その声の根っこには”ある信念”が潜んでいます。
「人間は、単純でいたい生き物なのだ」、と。
脳は「シンプル」が好き
人間の脳は、情報を処理するとき、できる限り省エネを好みます。
- 複雑な事象を細かく分析し続けることは、莫大なエネルギーを消費する。
- だから脳は本能的に、物事を「AかBか」へ分類しようとする。
- 「白か黒か」に振り分けようとする。
これが、二元論思考の正体です。
- 善と悪。
- 成功と失敗。
- プロとアマチュア。
こうした対立構造の中に物事を当てはめてしまえば、世界はぐっと理解しやすくなります。
あの人は「これをやっている人」、あの作品は「こういうジャンル」——
そんな”明確なラベル”が貼られた世界は、認識しやすく、記憶しやすいでしょう。
そして、その本能が「専門家への憧れ」を生み出す一因だと思っています。
- 一つのことを深く掘り続けた人間には、特別な重力がある。
- その人の存在そのものが、ある領域への入口として機能し、見る者の想像を超えた高みを指し示す。
- ラベルが明確だからこそ、憧れも明確になる。
しかしながら、逆もある。
- 複数のジャンルにまたがる人間は、ラベルが貼りにくい。
- 認識しにくく、カテゴリーに収まらない。
- 脳はその存在を処理しきれずに、一瞬、停滞する。
- その停滞が、時に「よくわからない人」という評価へ変換されてしまう。
当然のことながら、これは”その人の能力や誠実さの問題”ではありません。
ただ単に、「人間の脳における都合の問題」です。
……とはいえ、そう理解していても、やはり寂しい気持ちになることはあります。
専門家の凄みという「磁力」
私には、尊敬するアーティストたちがいます。
少しだけ紹介すると……
松本 孝弘さん。
サポートミュージシャンとしてキャリアをスタートさせて、主にB’zのギタリストとして、何十年にもわたってギターを弾き続けている人物。松本さんのギターの音には、圧倒的な「個性」があります。何万通りのギタリストが存在する世界で、一音聴けば「松本さんだ」とわかる独自の音色。それは、一つの道を極め続けた者だけが手にできる、ゆるぎないものです。
田名網 敬一さん。
サイケデリックでポップ、圧倒的な色彩、独自の視覚世界を半世紀以上描き続けてきたアーティスト。彼の作品に触れると、そこには「田名網 敬一という宇宙」が広がっていて、その宇宙の重力に吸い込まれるような感覚があります。
村上 春樹さん。
小説という形式の中で、独自の文体と世界観を作り上げている作家。村上さんの文章は、読み始めた瞬間に「村上 春樹の世界」へと連れていかれます。その世界に居座りたくなる心地よさ。とにかく、かっこいい文体。どこを読んでも、村上さんにしか書けない空気があります。
三人に共通するのは、一つの道を揺るぎなく歩み続けてきたこと。(もちろん、細かいことを言えば、現在に至るまでに紆余曲折があるわけですが……)
そして、その歩みの結果として、その人だけが持つ「重力」が生まれています。
私は正直、その重力に憧れます。
一つのことに全てを注いだ人間が放つ、あの凄みに。
だからこそ、「わかりやすい輪郭」を持つ人への羨望が、ないといえば嘘になります。
けど——
「じゃあ、私もそうなれるのか?」と問われると、どうしても首を横に振ってしまう自分がいます。
なぜなのか?
ずっと、それが疑問でした。
意志が弱いのか、飽き性なのか、ただの言い訳なのか……。
しかし最近、ようやく別の答えに気づき始めました。
HSS型HSPという回路
私はHSP(Highly Sensitive Person)です。
HSPとは、生まれつき感受性が高く、物事を深く処理する気質を持つ人のことを指します。
エレイン・アーロン博士が提唱した概念で、人口の約2割に存在するとされています。
「深く考える」
「刺激に敏感」
「共感力が高い」
「些細なことに気づく」
この4つの特徴が全て当てはまるのが、HSPです。
しかし、私が当てはまるのは、さらに特殊なタイプ。
HSS型HSP——「刺激追求型HSP」です。
HSS型HSPとは、
- HSPでありながら、新しい刺激や体験を強く求める。
- 繊細でありながら、退屈を極端に嫌う。
- 深く傷つきやすいのに、リスクを冒してでも未知の領域へ踏み込もうとする。
この矛盾した二つの性質が、私の中で常に共存しています。
- ギターを弾いているだけでは、飽き足らない。
- 文章の中にしか書けない感情がある。
- 絵でなければ表現できないものがある。
- 写真で切り取りたい瞬間がある。
- 映像でしか伝わらないものがある。
これらのどれもが、刺激への渇望から来ているのかもしれません。
- 一つの領域に留まることが、私には苦痛に近い。
- ずっと同じ場所にいると、どこかが息苦しくなってくる。
それは逃げではなく、私という人間の構造そのものだと、ようやく思えるようになってきました。
「色々なことに手を出している」のではなく、「全ての領域で本気でいる」のです。
なんだか、言い訳みたいに聞こえますかね……?
でも、本音です。
そして、おそらく事実でもあります。
「絞れ」という言葉の正体
「一つに絞れば?」という言葉の裏には、何が隠れているのか——
考えたことがあります。
もちろん、概ね善意だと思います。
その人が経験や直感から「専門性を高めた方が成功しやすい」と感じていて、私にそれを伝えてくれているのでしょう。
でも同時に、「そっちの方が理解しやすいから」という、相手の都合も含まれているような気がするのです。
- ラベルを貼れる人間の方が、認識しやすい。
- 記憶しやすい。
- 応援しやすい。
先述のとおり、それは人間の脳の本能だから、仕方がないと思います。
全く責める気はありません。
でも、私は「他人の脳の都合」のために、自分を削るつもりはありません。
一つに絞れなかった人間の誇り
松本 孝弘さんへの憧れは本物です。
でも、私は松本さんにはなれません。
なれないのではなく、それが私の道ではないのだと思っています。
私が目指すのは、「松本 孝弘のような専門性」ではなく、「村上 亮一という唯一無二の人物」です。
その人物は、音楽だけでは作れない。
文章だけでも、絵だけでも、写真だけでも足りない。
「全てが交差する地点」にだけ、私にしか作れない何かが生まれると考えています。
だからこそ、マルチクリエイターとは、妥協ではありません。
さらに言えば、「複雑さへの降伏」という選択なのです。
この世界を複雑なまま受け取り、複雑なまま表現することを、私はようやく誇れるようになってきました。
もし今、あなたが「一つに絞れない自分」を責めているなら、少しだけ立ち止まってほしいと思います。
「絞れない」のは、本当に弱さなのでしょうか?
それとも、あなたの中にある「回路」が、複数のチャレンジを望んでいるのでしょうか?
繰り返しますが、脳の省エネ本能は「一つのラベル」を求めます。
でも、あなたという人間が、そのラベルに収まる必要はどこにもありません。
「それで、何をしてる人なの?」
——私は、色々やってる人です。
すべて、本気で。
引き続き、納得感のある自分軸の人生を謳歌します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
以上、村上 亮一でした。



ではでは、したっけね~!


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