村上 亮一台風30号と雨にうんざりしている村上です。
今年は台風が多いですね。
加えて、秋の長雨も辛い。
さすがに、ここまで天気が悪い日が続くと、体調というか、メンタルにも影響します。
なんとなくダルい日が多くなるというか、気が滅入るというか……。
とにかく、お天道様が恋しい!
今度、晴れた日には、存分に散歩を楽しもうと思います。
さて、今日は、私が「はじめてバンドを組んだ話」をしようと思います。
音楽人生の原点
15歳の頃の話です。
ギターを弾き始めて、まだ間もない頃でした。
音楽の話をするとき、私はいつもここへ帰ってくる気がします。
ギタリストとして活動してきた年月の中で、様々な経験を積んできたけれど、どんな素晴らしい場面よりも、あの頃のことが、鮮やかに、くっきりと、脳裏に焼きついているんですよね。
なぜなのか?
その答えが、今回の話の中にあると思っています。
バンドブームとバンド結成
当時、私の周りではいわゆるバンドブームのような空気があって、友人たちが次々と楽器を始めていきました。
ギターを始める子が多かったけれど、ベースを始める子も出てきたし、ドラムを始める子も出てきた。
「みんな楽器を始めたんだな〜」と思いながら、私は私で、ひたむきにギターを練習していました。
そんなある日、ドラムを始めた友人から声をかけられたのです。
「バンド、組まない?」
——来た!
心の中で、そう思いました。
迷いは一切ありませんでした。
なぜなら、私がギターを弾き始めた最大の目標が「バンドを組むこと」だったからです。
ゆくゆくは、バンドでデビューすることが夢でした。
だから、誘われた瞬間に「これは、そのスタートだ」と思いました。
当然、答えはYESで、「やろう!」と即答。
嬉しかったな〜、あの瞬間。
とにかく、嬉しかった。
音楽の経験はほとんどなかったし(学校の演奏会くらいです)、だからこそ、迷う材料すらなかった。
何も怖くない。
何も知らないから、何も怖くない。
この感覚が、あとでとても重要な意味を持つことになります。
メンバー紹介:4人それぞれのキャラクター
バンドのメンバーは、私を含めて4人でした。
ギター担当の私、そして、ドラム / ベース / ボーカル。
決して深い接点のある4人ではなかったんですよね。
決して知らない仲ではないけれど、かといって、かなり親しい間柄というわけでもない。
「音楽がなければ繋がらなかったかもしれない」——そんな4人です。
それが、なんとも面白いところでした。
まず、私を誘ってくれたドラムの友人。
これが……いわゆる「ジャイアン」なんですよ。
ドラえもんのジャイアン、わかりますよね?
体が大きくて、圧が強くて、声もデカい。
あのキャラクターをリアルに体現したような人物でした。
正直なところ、小さい頃は私も彼にいじめられた経験があります。
……いや、本人にそんな意識はなかったと思うんですけどね。
子どもたちの日常の、悪ふざけの延長線上のような感じで。
大人になった頃には、普通に良い友人として関係を築くことができたし、そう思えば「ジャイアン」も根は悪い人ではないんですよね。
でも、かつていじめっ子だった彼が、私をバンドに誘ってくれたのです。
かつて、いじめっ子だった彼のおかげで、私の音楽人生がはじまった——
人生って、本当にわからないものですよね。
次に、ベースとボーカルの友人。
それぞれの家に遊びに行くくらいの仲でした。
そこそこ親密、という感じですかね。
で、自分以外の3人に共通していたのが……タバコを吸うこと。
いわゆる「イケイケ」な感じの友人たちでした。
対して、私はというと……。
真面目で、ひたむきにギターを弾くような性格。
タバコなんて全然興味もなかったし、1人だけ毛色が違う感じがありましたね。
そんな4人が、バンドを組むことになったわけです。
思えば、音楽ってすごいな〜と思います。
こんな接点の薄い、毛色の違う4人を、同じ方向に向かせてしまうんですから。
それだけで、音楽の持つ力を感じます。
倉庫で音楽が生まれた
バンドを結成して、はじめて4人で音を合わせたのは、ボーカルの友人宅の倉庫でした。
家業で使っていた仕事場だったかな?
そこそこ広い空間でした。
倉庫、と言うと少し殺風景なイメージがあるかもしれませんけど、あの空間のことは今でも鮮明に覚えています。
各自でドラムやアンプを持ち寄って、簡易スタジオを作りました。
セッティングをして、それぞれがチューニングして、音出しをして。
そういった一つひとつの準備の段階から、もうすでに高揚していたと思います。
「これからバンドをやるんだ」という現実感が、じわじわと押し寄せてきて。
175Rのコピーと、自分たちで作ったオリジナル曲を数曲。
そんなラインナップで、はじめての合わせ練習をしました。
私が弾いていたのは、シンプルなパワーコード。
ベースも、ほとんどルート弾き。
技術的に見たら、決して難しいことは何もしていない。
むしろ、相当シンプルな演奏です。
けど——
4人の音が重なった瞬間。
震えました。
感動して、体が震えました。
「あっ、音楽が生まれた」という感覚が、あの瞬間に確かにありました。
シンプルなパワーコードでも、ルート弾きのベースでも、そこに音楽が宿るんだ——という発見というか、衝撃というか。
自分たちでも、音楽を生み出せるんだという驚き。
一人でギターを弾いているのとは、全く違う何かが生まれた瞬間でした。
音楽って、こういうことだったんだ。
バンドって、こういうことだったんだ。
頭ではなく、体で、感情で、そう理解した瞬間だったと思います。
今振り返ってみると、あの感動は特別だったな、と思います。
その後、何度もライブをして、様々な場所で演奏しましたが、あの倉庫での感動を超える瞬間は経験できていない、と言っても過言ではないかもしれません。
それほどまでに、あの瞬間の喜びは純粋だったし、あまりにも鮮烈でした。
みんなで作ったオリジナル曲も最高でした。
拙いものだったと思うけれど、あの曲を一緒に作ったこと自体が、本当に楽しかった。
パンク的な要素が多い楽曲だったかな。
ハイスタとか、シャカラビッツとか、そういうバンドが流行っていた時代でしたから、自然とそういう空気になっていたんですよね。
B’zは演奏できなかったけど(当然ですが)、それでも、バンドはこんなにも最高なのか、と心から実感できました。
音楽は、素晴らしい。
バンドは、もっと素晴らしい。
あの倉庫で、そう確信しました。
はじめてのライブ|なにも怖いものがなかった
バンドを結成して数ヶ月後、ライブ出演の話が来ました。
これは、本当に運が良かったんですよ。
私たちが育った田舎町には、バンドをやっている大人(といっても、20歳前後の先輩たち)のコミュニティがあって、そこに混ぜてもらえたんですよね。
結成したばかりの、15歳の見習いバンドを、声をかけて引き上げてくれた先輩たち。
今思えば、本当にありがたかった。
舞台は、町の小さな商業施設の中で開催されるライブでした。
いわゆる、対バン形式。
私たちはおそらく、オープニングアクト的な立ち位置だったと思います。
でも、それで良かった。
対バン形式だったおかげで、初めてのライブにしては、そこそこの観客がいる状態で演奏することができました。
さて、はじめてのライブを前にした私の心境はというと……。
全く、何も怖くなかった。
緊張も、したかどうか、よく覚えていない。
今の私だったら「うまく弾けるかな」とか「ミスったらどうしよう」とか「お客さんはどう思うだろう」とか、色々と考えてしまうわけですよ。
あれこれと頭が動いてしまう。
でも、あの頃は違った。
音楽の経験がほとんどなかったし、比べる基準も、失敗して恥をかいた記憶も、何もない。
だから、怖いものが何もなかったんですよね。
とにかく、自信に溢れていた。
ステージに立って、全力で弾いて、全力で楽しむ。
それ以外に選択肢がなかった。
当然、演奏の失敗もあったと思います。
今聴いたら、相当ひどい演奏だったかもしれない(笑)。
でも、そんな細かいことを気にするような余白が、あの頃の自分にはありませんでした。
とにかく楽しかった。
本当に、ただただ楽しかった。
演奏が終わったとき、観客からの拍手や歓声が、これまでに感じたことのない興奮をくれた。
あの感覚は今でも忘れられません。
「また、ステージに立ちたい」
素直に、そう思いました。
勢いとか、フレッシュ感とか、そういう言葉では言い表せない何かが、あのステージにはあったと思います。
あの雰囲気は、今の自分では絶対に再現できないでしょう。
これは、断言できます。
ジャイアンとスネアの話(余談)
ここで、少し余談を。
ドラムの友人(ジャイアン)なんですが、練習のたびにスネアの皮を破るんですよ。
なんせ力が強い上に、力任せにとにかく叩くから。
初心者ですし、加減というものを知らない。
それだけではなく、そもそも彼の力の入れ方が、ドラムの限界に常に挑戦するようなスタイルで。
だから、スネアが破れるかどうか心配しながら演奏していたのも、今となっては笑える思い出です(笑)。
一曲もたないことすらありましたからね。
さすが、ジャイアン。
楽器まで壊す。
本家に負けず劣らずの存在感でした。
でも、彼のその爆発的なパワーのドラムが、バンドの推進力になっていた気もするんですよね。
技術的なうまさよりも、勢いで押し切るような演奏——
それが、あの頃の私たちのバンドには、むしろ合っていたのかもしれません。
あの頃の自分に、今の自分は何を思うか
そのバンドは、中学卒業を機に自然消滅しました。
3回くらいライブをして、それぞれの進路へ向かっていった感じです。
短い期間でしたが、今思えばあの経験が、私の音楽の土台を作ってくれたと思っています。
あの倉庫の感動が、あのステージの興奮が、「プロになりたい」という気持ちを、迷いのない確信へと変えてくれた。
とはいえ、音楽に対する考え方や姿勢は、あの頃からずいぶん変わりました。
色々な経験を経て、悩んで、失敗して、迷って、それでもまた音楽に戻ってきて——
そんな紆余曲折を経て、今の”自分本来の音楽との向き合い方”に辿り着いたような気がしています。
でも、その出発点には間違いなく、あの倉庫の感動がある。
あの4人で音を出した瞬間がある。
怖いものが何もなかった、あの頃がある。
一つ、今の自分がもっとも学べることがあるとすれば——
- 未熟でも、技術が乏しくても、全力で楽しむこと。
- 余計なことを考えずに、ただ音楽を愛すること。
あの頃の私は、それができていた。
むしろ、それしかできなかったからこそ、できていたのかもしれません。
「無敵だった頃」と言えば、聞こえが良いですね。
プロになることへの迷いも、失敗への恐れも、誰かと比べることの悲しさも、何もなかった。
「音楽最高! バンド最高!」——ただ、それだけ。
今の私には、あの無邪気さがない。
経験があるぶん、考えすぎてしまう。
技術があるぶん、もっと上手くやれるはずと焦ってしまう。
知識があるぶん、怖いものが増えてしまう。
これは、成長の証であると同時に、失ったものでもある気がしています。
だからこそ、あの頃の自分の姿勢は、今の自分に見習ってほしいと正直に思います。
余計なことを考えすぎず、楽しんで、夢中になって、ただ前へ進む——
そんな無敵の時間が、あのバンドにはありました。
人間関係にも、環境にも、本当に恵まれていたと思います。
「ジャイアン型」のドラム友人を筆頭に、あのバンドメンバーには感謝しかありません。
音楽の原点を、一緒に作ってくれた人たちです。
そして、声をかけてくれた先輩たち、ライブを観てくれたお客さん、陰ながら応援してくれた両親。
あの頃の全てのご縁に、あらためて感謝を伝えたい気持ちになります。
あの倉庫に生まれた音楽は、今も私の中で鳴り続けています。
いつか色褪せることなく、これからも。
——ということで、引き続き、納得感のある自分軸の人生を謳歌します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
以上、村上 亮一でした。



ではでは、したっけね~!


コメント