村上 亮一ギタリストの村上です。
……と書いたところで、少し複雑な気分になる自分がいます。
そもそも、「ギタリスト」と名乗って良いのか?
本当にそう言い切って良いのか?
こういうことを考え始めると、なかなか書き出せなくて困るんですけどね。
とにかく書き進めます。
今日は「褒められると、どこかで信じられない」という話をしたいと思います。
「才能あるね!」と言われたときのこと
以前に書いたエッセイで、こんなことを書きました。
周りからは「才能があるね!」とか「天才!」なんて言われることもあった——と。
あのとき、「ちょっと良い気分でしたよ」と書きました。
けど……
正確には、もう少し複雑な気持ちでした。
もちろん、嬉しいのは嬉しいです。
でも。
「うん、そうだよ! 俺、才能あるよ!」と、素直に受け取れたかと言われると、全然そんなことはない。
頭の中で、もうひとりの自分がボソっとささやくんですよ。
「……このくらいできる人、たくさんいるぞ」と。
「たまたま、うまくいっただけじゃないか?」と。
「才能、というほどじゃないだろ」と。
嬉しさと疑いが、同時に来る感じ。
そんな感覚が、昔からずっとあります。
「この人には、敵わない」
専門学校に入ってから、世界が一変しました。
中学・高校の頃は、ある意味で「校内一位」の感覚でいられた。
けど、専門学校には、本気でギターをやっている人間がたくさんいる。
同期、先輩、講師の先生。
そして、授業やセミナーで来校する、著名なアーティストたちなど。
これが、本当にすごかった。
いや、「すごかった」という言葉では全然足りない。
涼しい顔で、難曲をスラスラ弾く。
まるで言葉を話すように、瞬時に音にしてしまう。
短時間で、何百もの曲を覚えてしまう。
本当に同じ人間なのか?と疑うレベル。
その人たちを前にして、私はある瞬間に悟りました。
「あっ、この人には敵わない」
声には出さなかったけど、静かに悟りました。
感情的な落ち込みとか、悔しさとか、そういう激しいものじゃない。
もっと冷たい、静かな感覚。
湖の底に沈んでいくような感じ、とでも言えばいいのか。
その他にも、デビューする前から、活躍することがわかっていた人たちもいた。
実際、その予感は当たって、サポートミュージシャンとして忙しくしていったり、歌手がデビューを果たしたり、ギタリストとして広く知れ渡ったり。
「この人たちが必要とされなければ、いったい誰が必要とされるんだ?」
そんな風に考えながら、一緒に音楽活動をしていた時期があります。
褒め言葉が、届かなくなった
そんな経験からだと思うんです。
「褒め言葉を、正面から受け取れなくなった」のは。
越えられない壁を目の当たりにして、自分の限界を知ったとき——
それ以降、誰かに「上手いね」とか「才能あるよ」と言われても、素直にそれを信じられなくなった。
もちろん、「嬉しい」ということに変わりはありません。
嬉しいんです。
本当に。
でも、嬉しさの奥のほうに、必ずこういう声が湧いてくる。
「いや、私なんかより上手い人を、あなたは知らないだけだ」
「私が特別なんじゃなくて、比較対象がいないだけだ」
「これくらいできる人は、世の中にたくさんいる」
……なんだか根暗で、ちょっと嫌なやつですね。
でも、止められない。
自動的に来るんですよね、そんな声が。
HSPって、些細なことに気づく気質があって。
悪く言えば、人の言葉の「裏側」まで読もうとしてしまいます。
「これは、本心で言ってるのか?」
「社交辞令じゃないのか?」
「気を遣ってくれてるだけじゃないのか?」
そんなことを、褒められながらリアルタイムで考えてしまっています。
当然、こんなこと、褒めてくれた人には言えませんけどね。
音楽をやめた話
実は一時期、音楽から離れたくなったんです。
というか、実際にやめていた時期がありました。
落ち込んで、今までの自分を否定して。
「才能がなかったんだ」と思ったり、「どんな顔して続けるんだ」と自分に問いかけたり。
ギターを手に取る気になれない時期がありました。
あの頃の自分を、どう説明すれば良いんだろう……。
ただただ、疲れていたのかもしれません。
自分への期待と、現実の自分の差を、ずっと直視し続けていたから。
けど、面白いことに——
やめてみて、気づいたことがあります。
それは、「やっぱり音楽が好きだ」ということ。
ギターを弾いていない自分が、しっくりこないということ。
あぁ、やっぱり私はこっちの人間なんだな——と。
決して、嫌いになって離れたわけじゃなかった。
「傷付いたから、少し距離を置きたかった」だけだったのかもしれません。
今持っている手札で、どう生きるのか?
今の私には、ひとつの考え方があります。
(ありきたりではありますが)「持っている手札を活用する」という考え方です。
越えられない壁を越えようとするのではなく、今ある才能の使い方を模索する——
それに気づいてから、今の活動があります。
ギターだけじゃなく、文章を書いて、イラストを描いて、音楽を作る。
マルチクリエイターという形で活動しているのも、その延長線上にあります。
「どこか一点で最高になる」よりも、「今ある手札を組み合わせて、唯一無二になる」——そっちの方が、私らしい生き方だと思ったのです。
もちろん、今だって自分を責めることはあります。
「もっとうまくできたんじゃないか?」「どうして、この程度なんだ?」とか。
とはいえ、以前のように”底まで落ち込むこと”は減りました。
……まぁ、「減りました」というのが、精一杯の表現ですけど。笑
「信じられない」ことの功罪
ここで少し冷静に考えてみると——
「褒め言葉を信じられない」って、実は悪いことばかりじゃないんですよね。
前提として、昔の私は、ポジティブに振り切っていた時期がありました。
「才能あるね!」とか「天才!」とか言われて、そのまま天狗になっていた時期があります。
当然、天狗になると、それ以前よりも練習しなくなります。
そして、「自分はできる」と思うと、成長が止まります。
だからこそ、どこかで信じられない自分というのは、天狗を抑制する働きをしているのかもしれません。
「本当にそうか? もっとうまくなれるんじゃないか?」
そんな問いが、私を動かし続けているところもあります。
ただし——
やっぱり損をしているな、とも思います。
素直に喜べれば、もっとずっと楽なのに。
もっと自分を肯定しながら生きられれば、もっと速く成長できるのに——
そういう感覚も、ちゃんとあります。
いずれにせよ、今は両輪をうまく動かしながら、少しずつ前進することに集中します。
褒め言葉を受け取れる人間になりたいか?
……正直に言えば、なりたいです。
もっと素直に「ありがとうございます!」と言えるようになりたいです。
「嬉しいです、励みになります!」と、本心から言えるようになりたいです。
けれど、同時に、今の自分が完全に間違っているとも思えません。
「この程度で満足するな!」という声が、私を前に押し進めてきた側面も確かにあります。
だから、今のところの私の答えはこうです。
「ゆっくり、受け取れるようになっていければいい」
焦らなくていいし、完全に素直にならなくてもいい。
ただ、以前より少しだけ「そうかもしれない」と思えるように。
褒め言葉を一旦受け取って、飲み込んで、それから検証する——
そのくらいの余裕を持てるようになる。
それが今の目標です。
……というか、まずこのエッセイを書いて公開すること自体が、相当な自己開示なんですけどね。
「褒められても信じられない」なんて、なかなか言えないじゃないですか。
ちょっと恥ずかしいというか、ウジウジして見えるというか。
でも、本音です。
こういう本音を書いておかないと、「村上 亮一」という人間が、薄っぺらになってしまう気がしますし。
だから、正直に書きました。
読んでくれた人に、ちょっとでも「わかる気がする」と思ってもらえたら嬉しいです。
わからなかった人も、「こんなやつもいるんだな〜」くらいに思ってもらえたら、それで十分です。
引き続き、色々と模索しながら、納得感のある自分軸の人生を謳歌したいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
以上、村上 亮一でした。



ではでは、したっけね〜!


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