村上 亮一最近、FF9(ファイナルファンタジー9)にハマっている村上です。
過去にクリアしたことはありますが、ずいぶん昔(中学生とか、高校生の頃?)なので、大人になった今、あらためてプレイしたいと思って遊んでます。
いや〜、しかし。
相変わらずの名作ですね。
ビビやダガーの可愛さもさることながら、
ファンタジーのワクワク感、童話のような温もり、コミカルでユーモアに満ちているかと思えば、シリアスな演出でハッとさせられ、ときには感動のシーンでしっかり泣かせてくれる。
そして、散りばめられた真理のような問いかけが満載と……
とにかく、今でも唸ってしまうような、素晴らしいクオリティーです。
人生の酸いも甘いも、ギュッと詰め込んだような作品。
ぜひ、道徳の教科書にしましょう。
(ジタンの”男なら◯◯◯だろ”みたいなノリは、ちょっと現代の価値観からズレてるけど)
振り返ると、リリース当時は、
「キャラクターの等身が縮んじゃってるじゃん!」(せっかく前作で等身がリアルになったのに!)」
「今さら原点回帰?」(引き続き、SF的なノリで行かないの?)
「う〜ん、なんだかなぁ」と、阿藤快さんみたいに思ってました。
けれど、いざフタを開けてビックリ。
先述のとおり、最高の作品でした。
もちろん、あっという間にクリアしましたね。
もしかすると、(現時点においても)FFシリーズで一番好きかもしれない。
(世間的には)なんとなくマイナー感が拭えない気がするFF9ですが、FFシリーズにおける、傑作のひとつだと思います。
ということで、未プレイの方、ぜひ遊んでみてください!
ところで、傑作と言えばーー
(ここからが、今日の本題。前置きが長くてごめんクポ)
先日、いつもどおり絵を描いていたんですよ。
特に気合いを入れていたわけでもなく、なんとなく気が向いたから描き始めた、という感じです。
で、気がつけば完成していたわけですが……


「えっ! コレ、誰が描いたの?」
本当に、そう思いました。
これ、自分で描いたっけ?と……。
もちろん、私が描いたんですよ。(ちなみに、AIも使ってません)
でも、どうしても素直に「自分が描いた」とは思えないんです。
なんというか、どこか他人事というか……。
もちろん、嬉しいことだし、驚いてもいるんですけど、同時に「恐縮」するんですよね。
「えぇ、こんなのが私から生まれちゃったの……?」みたいな。
ちょっと、申し訳ない気持ちすら生まれる。
これ、わかる人にはわかると思うんですよ。
よく「降ってきた」「降りてきた」なんて言いますよね。
アイデアとか、言葉とか、メロディーとかが。
あの感覚、まさにそれだと思います。
自分の中から生まれたのに、どこか「受け取った」感じがするというか。
誰かに作らされたような、あるいは、誰かから授かったような、どこか不思議な感覚。
とはいえ、これが、私が創作をやめられない理由のひとつでもあります。
ちなみに、音楽制作における(個人的な)傑作はコレです。
正直に言えば(というか、当然ですが)、
傑作ばかりが生まれるなんて、そんな都合の良い話はありません。
むしろ、大半は「う〜ん……」という出来栄えです。
いわゆる、駄作。
でも、これを言っておきたいんですよ。
「駄作がなければ、傑作は生まれない」
当たり前のことかもしれないんですけど、これって本当に大事な前提だと思っています。
なぜなら、駄作を作る経験があるからこそ、自分の中で「ここが良くない」「ここをこうすれば」という引き出しや改善点が積み重なっていくからです。
つまるところ、駄作のネガティブな要素を改善した先に、傑作があるーー
だからこそ、駄作を作ることは決して無駄ではないし、恥でもありません。
むしろ、「駄作を愛せるかどうか」が、創作を続けられるかどうかの分岐点なんじゃないかと、最近よく思います。
ちなみに、私が勝手に信じている法則があります。
それは、「宇宙の法則」です。
別名、「78対22の法則」とか「ユダヤの法則」とも呼ばれています。
端的に言えば、世の中の全ての事象や自然界のバランスは、「78対22」の割合で成り立っているーーという考え方ですね。
以前に書いたエッセイでも触れた法則なんですが、これ、創作にも当てはまると思っています。
具体的には、
- 傑作が22、駄作が78
この割合になるんじゃないかと思うのです。
故に、もし宇宙の法則に当てはまるのだとしたら、どんなに頑張っても、「全体の約2割しか傑作は生まれない」計算になります。
最初、それを考えたときには「少なっ!」と思いました。
でも、あらためて考えてみればーー
78の駄作があるからこそ、22の傑作が際立つわけですよね。
(中二病的に言えば)光は、闇があるから輝く。
これは、宇宙の法則が教えてくれる、真理なんだと思います。
それであれば、そもそも駄作を生み出すことを恐れなくていい。
だって、78の駄作の先に、22の傑作があるのだから。
これを前提にしておけば、どんな出来栄えの作品でも、納得しながら向き合えるはずです。
ここで、少し不思議な話をさせてください。
傑作が生まれるとき、どんなメカニズムが働いているのか、実際には詳しくわかりません。
ただ、体感として思うことがあって。
それは、「傑作が生まれるとき、たいてい無心に近い状態だった気がする」ってことです。
「よし、今日は傑作を作るぞ!」と気合いを入れた日に限って、たいして良いものが生まれなかったりする。
逆に、なんとなく手を動かし始めて、気がつけば没頭していて、ふと顔を上げたら完成していたーーそういう日に傑作が生まれやすい気がするんです。
直感や本能で創作しているというか、自然と湧き上がる創作意欲に任せているというか、顕在意識を使わずに、潜在意識を使っているというか……
まるで、HUNTER×HUNTERの自動書記です。(わからない方、ごめんなさい)
とはいえ、これが全てではなくて……(さらなる矛盾、すんません)
逆に、難産だった作品ーー何度も手を加えて、納得がいかなくて、それでも諦めずに向き合い続けた末に生まれた傑作、というのも確かにある。
だから、不思議なんですよね。
「こうすれば傑作が生まれる」という法則が存在しない。
それがまた、創作の面白いところでもあるわけですけど。
もうひとつ、傑作について気づいたことがあります。
それは、自分が「傑作だ」と思う作品は、自分以外の人にも傑作だと思われることが多いこと。
これも、冷静に考えれば不思議です。
そもそも、自分の主観的な評価が、他者の評価と一致するーー
それ自体が不思議なことだし、当然「自分の感覚は正しかった」という証明でもあるし、同時に「自分が作ったものなのに、なぜかわからない」という感覚を、あらためて強化する出来事でもあります。
やっぱり、「本当に自分が作ったのか?」と思ってしまう……。
でも、それで良いと思うんです。
ある意味、「知らない自分に出会える」わけですから。
「こんなものが自分から生まれるのか!」という驚きや喜びは、何度経験しても色褪せません。
月並みですが、
自分のことは、想像しているよりも全然わかっていないーー
傑作が生まれるたびに、そう実感します。
もちろん、これも創作の醍醐味だと思っています。
だからこそ、自分を知るために、創作するのも一興ですね。
最後に、ひとつ。
「傑作が生まれるかどうかは、運次第だ」という考え方もあると思います。
たしかに、そうかもしれない。
他方で、体調が良い日もあれば、精神的に参っている日もあります。
(面白いことに)コンディションの悪いときにしか生まれない”作品の独特な雰囲気”というものも、たしかに存在する。
だからこそ、一概に「良いコンディションでなければいけない」とは言い切れないけれど、基本的には、心身が健やかであることーー
つまるところ、「健康」がベースになると思っています。
良いコンディションがあってこそ、実力を発揮できる。
そして、そのコンディションを整えるのは、言わずもがな、自分次第。
無駄を楽しめるだけの余裕を作るのも、自分次第。
傑作が生まれる環境を整えるのも、自分次第。
そしてーー
「自分は運が良い」と信じるのも、自分次第。
信じることで、運は引き寄せられます。
オカルト的な意味合いも含みますが、それだけではなく、「自分は運が良い」と信じることで、脳が実際にポジティブな事物を探し始めるんですよね。
これは、創作を続ける上でも、傑作を生み出す上でも(もちろん、生きる上でも)重要なマインドです。
詳しくは、この記事を読んでみて下さい。


したがって、傑作も同様、ある程度の引き寄せが可能だと言うこと。
傑作は、運 / 実力 / 余裕、それから自分自身を信じる力が交差したところに生まれる、という結論でしょうか。
そして、これらは、自分でコントロールできる領域です。
だからこそ、創作はやめられない。
もちろん、かなり極論を言ってます。
実際には、こんなにシンプルではなく、グラデーションがあります。
それでも、なんとなくロジックがわかり始めると、「普段の行動や思考」ーーひいては、「生き方」が創作に繋がることに、あらためて気が付きました。
生活の先に創作があり、創作の先にまた生活がある。
駄作の先に傑作があり、傑作の先にまた駄作がある。
その繰り返しの中に、創作の喜びも苦しさも、全部詰まっているのでしょう。
意味もなく、無駄に、ただ楽しいから作るーーそんな創作が、いつかの傑作に繋がっていく……。
そう信じながら、今後も自分軸で創作を謳歌したいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
以上、村上 亮一でした。



ではでは、したっけね〜!


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