【エッセイ】78の駄作の先に、22の傑作がある|駄作を愛せる人に、傑作は舞い降りる

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【エッセイ】78の駄作の先に、22の傑作がある|駄作を愛せる人に、傑作は舞い降りる
村上 亮一

最近、FF9(ファイナルファンタジー9)にハマっている村上です。

過去にクリアしたことはありますが、ずいぶん昔(中学生とか、高校生の頃?)なので、大人になった今、あらためてプレイしたいと思って遊んでます。

いや〜、しかし。

相変わらずの名作ですね。

ビビやダガーの可愛さもさることながら、

ファンタジーのワクワク感、童話のような温もり、コミカルでユーモアに満ちているかと思えば、シリアスな演出でハッとさせられ、ときには感動のシーンでしっかり泣かせてくれる。

そして、散りばめられた真理のような問いかけが満載と……

とにかく、今でも唸ってしまうような、素晴らしいクオリティーです。

人生の酸いも甘いも、ギュッと詰め込んだような作品。

ぜひ、道徳の教科書にしましょう。

(ジタンの”男なら◯◯◯だろ”みたいなノリは、ちょっと現代の価値観からズレてるけど)

振り返ると、リリース当時は、

「キャラクターの等身が縮んじゃってるじゃん!」(せっかく前作で等身がリアルになったのに!)」
「今さら原点回帰?」(引き続き、SF的なノリで行かないの?)

「う〜ん、なんだかなぁ」と、阿藤快さんみたいに思ってました。

けれど、いざフタを開けてビックリ。

先述のとおり、最高の作品でした。

もちろん、あっという間にクリアしましたね。

もしかすると、(現時点においても)FFシリーズで一番好きかもしれない。

(世間的には)なんとなくマイナー感が拭えない気がするFF9ですが、FFシリーズにおける、傑作のひとつだと思います。

ということで、未プレイの方、ぜひ遊んでみてください!

ところで、傑作と言えばーー

(ここからが、今日の本題。前置きが長くてごめんクポ)

先日、いつもどおり絵を描いていたんですよ。

特に気合いを入れていたわけでもなく、なんとなく気が向いたから描き始めた、という感じです。

で、気がつけば完成していたわけですが……

「えっ! コレ、誰が描いたの?」

本当に、そう思いました。

これ、自分で描いたっけ?と……。

もちろん、私が描いたんですよ。(ちなみに、AIも使ってません)

でも、どうしても素直に「自分が描いた」とは思えないんです。

なんというか、どこか他人事というか……。

もちろん、嬉しいことだし、驚いてもいるんですけど、同時に「恐縮」するんですよね。

「えぇ、こんなのが私から生まれちゃったの……?」みたいな。

ちょっと、申し訳ない気持ちすら生まれる。

これ、わかる人にはわかると思うんですよ。

よく「降ってきた」「降りてきた」なんて言いますよね。

アイデアとか、言葉とか、メロディーとかが。

あの感覚、まさにそれだと思います。

自分の中から生まれたのに、どこか「受け取った」感じがするというか。

誰かに作らされたような、あるいは、誰かから授かったような、どこか不思議な感覚。

とはいえ、これが、私が創作をやめられない理由のひとつでもあります。

ちなみに、音楽制作における(個人的な)傑作はコレです。

楽曲名:月光

正直に言えば(というか、当然ですが)、

傑作ばかりが生まれるなんて、そんな都合の良い話はありません。

むしろ、大半は「う〜ん……」という出来栄えです。

いわゆる、駄作。

でも、これを言っておきたいんですよ。

「駄作がなければ、傑作は生まれない」

当たり前のことかもしれないんですけど、これって本当に大事な前提だと思っています。

なぜなら、駄作を作る経験があるからこそ、自分の中で「ここが良くない」「ここをこうすれば」という引き出しや改善点が積み重なっていくからです。

つまるところ、駄作のネガティブな要素を改善した先に、傑作があるーー

だからこそ、駄作を作ることは決して無駄ではないし、恥でもありません。

むしろ、「駄作を愛せるかどうか」が、創作を続けられるかどうかの分岐点なんじゃないかと、最近よく思います。


ちなみに、私が勝手に信じている法則があります。

それは、「宇宙の法則」です。

別名、「78対22の法則」とか「ユダヤの法則」とも呼ばれています。

端的に言えば、世の中の全ての事象や自然界のバランスは、「78対22」の割合で成り立っているーーという考え方ですね。

以前に書いたエッセイでも触れた法則なんですが、これ、創作にも当てはまると思っています。

具体的には、

  • 傑作が22、駄作が78

この割合になるんじゃないかと思うのです。

故に、もし宇宙の法則に当てはまるのだとしたら、どんなに頑張っても、「全体の約2割しか傑作は生まれない」計算になります。

最初、それを考えたときには「少なっ!」と思いました。

でも、あらためて考えてみればーー

78の駄作があるからこそ、22の傑作が際立つわけですよね。

(中二病的に言えば)光は、闇があるから輝く。

これは、宇宙の法則が教えてくれる、真理なんだと思います。

それであれば、そもそも駄作を生み出すことを恐れなくていい。

だって、78の駄作の先に、22の傑作があるのだから。

これを前提にしておけば、どんな出来栄えの作品でも、納得しながら向き合えるはずです。


ここで、少し不思議な話をさせてください。

傑作が生まれるとき、どんなメカニズムが働いているのか、実際には詳しくわかりません。

ただ、体感として思うことがあって。

それは、「傑作が生まれるとき、たいてい無心に近い状態だった気がする」ってことです。

「よし、今日は傑作を作るぞ!」と気合いを入れた日に限って、たいして良いものが生まれなかったりする。

逆に、なんとなく手を動かし始めて、気がつけば没頭していて、ふと顔を上げたら完成していたーーそういう日に傑作が生まれやすい気がするんです。

直感や本能で創作しているというか、自然と湧き上がる創作意欲に任せているというか、顕在意識を使わずに、潜在意識を使っているというか……

まるで、HUNTER×HUNTERの自動書記です。(わからない方、ごめんなさい)

とはいえ、これが全てではなくて……(さらなる矛盾、すんません)

逆に、難産だった作品ーー何度も手を加えて、納得がいかなくて、それでも諦めずに向き合い続けた末に生まれた傑作、というのも確かにある。

だから、不思議なんですよね。

「こうすれば傑作が生まれる」という法則が存在しない。

それがまた、創作の面白いところでもあるわけですけど。


もうひとつ、傑作について気づいたことがあります。

それは、自分が「傑作だ」と思う作品は、自分以外の人にも傑作だと思われることが多いこと。

これも、冷静に考えれば不思議です。

そもそも、自分の主観的な評価が、他者の評価と一致するーー

それ自体が不思議なことだし、当然「自分の感覚は正しかった」という証明でもあるし、同時に「自分が作ったものなのに、なぜかわからない」という感覚を、あらためて強化する出来事でもあります。

やっぱり、「本当に自分が作ったのか?」と思ってしまう……。

でも、それで良いと思うんです。

ある意味、「知らない自分に出会える」わけですから。

「こんなものが自分から生まれるのか!」という驚きや喜びは、何度経験しても色褪せません。

月並みですが、

自分のことは、想像しているよりも全然わかっていないーー

傑作が生まれるたびに、そう実感します。

もちろん、これも創作の醍醐味だと思っています。

だからこそ、自分を知るために、創作するのも一興ですね。


最後に、ひとつ。

「傑作が生まれるかどうかは、運次第だ」という考え方もあると思います。

たしかに、そうかもしれない。

他方で、体調が良い日もあれば、精神的に参っている日もあります。

(面白いことに)コンディションの悪いときにしか生まれない”作品の独特な雰囲気”というものも、たしかに存在する。

だからこそ、一概に「良いコンディションでなければいけない」とは言い切れないけれど、基本的には、心身が健やかであることーー

つまるところ、「健康」がベースになると思っています。

良いコンディションがあってこそ、実力を発揮できる。

そして、そのコンディションを整えるのは、言わずもがな、自分次第。

無駄を楽しめるだけの余裕を作るのも、自分次第。

傑作が生まれる環境を整えるのも、自分次第。

そしてーー

「自分は運が良い」と信じるのも、自分次第。

信じることで、運は引き寄せられます。

オカルト的な意味合いも含みますが、それだけではなく、「自分は運が良い」と信じることで、脳が実際にポジティブな事物を探し始めるんですよね。

これは、創作を続ける上でも、傑作を生み出す上でも(もちろん、生きる上でも)重要なマインドです。

詳しくは、この記事を読んでみて下さい。

したがって、傑作も同様、ある程度の引き寄せが可能だと言うこと。

傑作は、運 / 実力 / 余裕、それから自分自身を信じる力が交差したところに生まれる、という結論でしょうか。

そして、これらは、自分でコントロールできる領域です。

だからこそ、創作はやめられない。

もちろん、かなり極論を言ってます。

実際には、こんなにシンプルではなく、グラデーションがあります。

それでも、なんとなくロジックがわかり始めると、「普段の行動や思考」ーーひいては、「生き方」が創作に繋がることに、あらためて気が付きました。

生活の先に創作があり、創作の先にまた生活がある。

駄作の先に傑作があり、傑作の先にまた駄作がある。

その繰り返しの中に、創作の喜びも苦しさも、全部詰まっているのでしょう。

意味もなく、無駄に、ただ楽しいから作るーーそんな創作が、いつかの傑作に繋がっていく……。

そう信じながら、今後も自分軸で創作を謳歌したいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

以上、村上 亮一でした。

村上 亮一

ではでは、したっけね〜!

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