村上 亮一今年の東京の夏は、なんだか涼しいな〜と感じている村上です。
不思議と、例年に比べて身体が楽なんですよね。
気象データとか確認していないのでアレですけど、実際に涼しい日が多いんじゃないでしょうか?
夏(暑さ)が苦手な道産子にとっては、ありがたいことです。
さて、そんな涼しさも相まって、創作意欲が自然と湧いてきます。
暑すぎると、創作以前に、どうしても命を守ることに必死になりますからね。
意識やら本能やらが、創作よりも先に、体調管理へ向いちゃう……。
けれど、今年はそれが少ないから嬉しいです。
そんな創作意欲ーーひいては、創作活動についてですけど、
「才能がないから……」
そう言って、音楽やギターを諦めた人を、私は何人も見てきました。
そして、正直に言えば、私も「才能がない」と思ったことがあります。
何回も、何十回も、何百回も。
いや、正確には今でも、ふとした瞬間に思います。
「やっぱり、俺には才能がない」って。
でも、気がついたんですよ。
そもそも「才能がないからやめる」という発想自体が、もう古いし、もったいない、って。
じいちゃんの話をさせてくれ
話は少し遡りますが……
まずは、じいちゃんの話をさせてください。
(ぶっちゃけ)じいちゃんは、「天才」ではなかった。
私と同様、凡人オブ・ザ・イヤーを獲得しています。
ギターが弾けるわけでも、音楽理論を知っているわけでも、絵の専門的な教育を受けたわけでもなかった。
でも、じいちゃんはいつも「何か」作っていた。
例えば、
- 自分でカラオケを吹き込んで、自作のアルバム(カセットテープ)を作ったり。
- ハーモニカを取り出して、誰に聴かせるでもなく吹いたり。
- ひたすら馬の絵を描いたり。
誰かに評価されるわけでもなく、お金になるわけでもなく。
ただ、自分が「好きだから」「やりたいから」ーー
とにかく、それだけの理由で作ってたんです。
そもそも、じいちゃんの時代って、今とは比べ物にならないくらい「発信が難しい時代」だったはずなんですよ。
当然、インターネットなんてないし、SNSもない。
スマートフォンどころか、パソコンも普及していない。
強いて言えば、手紙や郵便がある程度。
そんな環境でも、じいちゃんは創作し続けていた。
何の後ろ盾もなく、誰からの承認もなく、それでも作り続けていた。
……これって、結構すごいことじゃないですか?
圧倒的に恵まれた時代
翻って、現代。
まず、スマートフォン一台あれば、音楽だって作れる。
動画だって撮れる。
小説だって書ける。
さらには、プロが使っているような機材やソフトウェアが、ちょっと頑張れば手の届く値段で買える。
もちろん、昨今は物価高で「ちょっと頑張る」のが前より大変になってきているのは事実。
そこは正直、辛いです……。
とはいえ、10年前、20年前と比べたら?
もっと遡って、じいちゃんの時代と比べたら?
圧倒的に、今の方が恵まれているでしょう。
それは、間違いない。
加えて、プロクオリティの録音環境、デザインツール、動画 / 画像編集ソフトなど……。
かつては「プロだけのもの」だったものが、今や誰でも使えるようになっています。
そして、何よりも大きな変化が、作ったものを「誰でも発信できる」こと。
ブログでも、YouTubeでも、SoundCloudでも、Instagramでも、noteでも。
とにかく、あらゆる方法や手段で発信できます。
(ちゃんと相手に届くかどうかだったり、届けられるかどうかは、また別の話ですけど……)
つまるところ、「天才じゃないから発信できない」なんて言い訳が、もう通用しない時代なんですよね。
逆に言えば、「天才じゃないからやらない」(やめた)という言い訳ができない時代とも言えますけども。笑
収益のことは……正直、考えてる
基本的には私は、自由に創作して、マイペースに発信できていれば幸せです。
これは強がりとかではなく、本心です。
とはいえ、正直に言えば、収益のことは考えています。
当然、考えていないわけがない!
そもそも、創作活動にはお金がかかりますからね。
機材を買うにも、ツールを使うにも、制作時間を確保するにも、全部お金や時間が絡んできます。
他方で、「お金にならない活動のために、お金を稼ぐ」という構造の、なんとも言えないもどかしさは、ずっと付きまとっています。
大げさに言えば、時々「怖い」とすら感じる。
単純に「無駄なことをしている」と感じる瞬間だったり、そう思っているネガティブな自分が出てきたりするからです。
無駄なモノを創っている、無駄な時間を過ごしている、無駄な人生を過ごしている……みたいな。
(もちろん、無駄を楽しむマインドも大切なことは、重々承知してますけどね)
未来には、ベーシックインカムが普及して、誰もが創作活動だけに専念できる……なんて時代が来るかもしれない。
けれど、今はまだそうじゃない。
最低限、自分で稼ぐ必要はある。
ちなみに、私の場合、現状は時短勤務(週4日・1日6時間)という働き方を選んでいます。
できる限り、ミニマルに、シンプルに。
そのくらいのスタンスであれば、ちゃんと生活もできるし、創作活動の時間も確保できます。
要するに、現代においては「創作時間を確保する勇気や意識」が必要だということ。
言わずもがな、誰かが時間を与えてくれるわけじゃありません。
だからこそ、自分で取りにいかなきゃいけない。
そこは、ある程度の努力と覚悟がいる。
でも、それができている今が好きでもあります。
収益のことは、今後の課題です。
……まぁ、永遠の悩みなんだろうな〜、とも思いますけど。笑
「やりたいときにやる」の、どこが悪いのか
誰かに文句を言われるわけじゃありません。
締め切りがあるわけでもありません。
「もっと頑張れ」と叱られるわけでも、「なぜ続けないんだ」と責められるわけでもありません。
だからこそ、やりたいときにやる。
やりたくないときはやらない。
発信したいときに発信する。
もちろん、しばらく休んだって良い。
つまるところ、マイペースで良いじゃないか、と私は思っています。
むしろ、この「マイペースに活動できること」に、大きな魅力を感じています。
そもそも、誰のためでもなく、自分のために創作するーー
それって、全然おかしくないです。
もちろん、収益がなくても、創作活動には確かな意味があります。
- 作ることで、気持ちが整理される。
- 作ることで、自分を発見できる。
- 作ることで、生きている実感を得られる。
それで十分じゃないか、と私は思っています。
とはいえ、先述のとおり、「これって無駄かも?」と、ネガティブに感じる瞬間はありますけどね……
人間だもの。
この世が単純じゃないのと一緒で、人間だって言うほど単純じゃないんです。
時には、矛盾の中で生きる強さが大切。
むしろ、複雑さや矛盾を前提にすれば、そこから生まれる気持ちに触発されて、創作意欲が湧いてくることもあります。
自分の気持ちと正面から向き合って、あらゆる感情を創作活動のガソリンとして活用したいですね。
明日、死ぬとしたら
月並みな話しですが……
「明日死ぬとしたら」って考えたとき、私は「創作しておけばよかった」と後悔したくないです。
自分の作品が、この世に何も残っていなかった……という状態は、シンプルに嫌だ。
自分の分身となるような「何か」が残ることーー
それが、私にとって創作を続ける理由のひとつです。
じいちゃんのカセットテープや馬の絵が、今でもこの世と自分の記憶の中に残っているように。
だからこそ、天才じゃなくてもいい。
完璧じゃなくてもいい。
好きで、やりたくて、続けたい。
それだけで、十分すぎる理由になる時代に、私たちは生きています。
本当に、この時代に生まれて良かった、と思います。
じいちゃんが発信も難しい時代に、それでも創作し続けていたようにーー
私は、誰でも発信できるこの時代に、マイペースに、ワガママに、自分の本心に従って、自由に創作し続けていきます。
やりたいときにやる。
好きだからやる。
誰に何を言われても、それで良いじゃないか。(ちょっと、強がりですが……笑)
引き続き、自分軸で創作を楽しみながら、この時代ーーひいては、この人生を謳歌します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
以上、村上 亮一でした。



ではでは、したっけね~!


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