村上 亮一最近、ピンク・フロイドばかり聴いている村上です。
一度ハマると、あの独特の気怠さだったり、浮遊感だったり、唯一無二の多幸感から抜け出せなくなるんですよね。
本当に聴いてて気持ち良い。
マジでキマる。
私は、もう「Echoes」がないと眠れません。
そうそう、気持ち良いと言えば、最近、ふと気づいたことがあります。
それは、「創作って、癒しだったんだな〜」ということ。
いや、「だった」という過去形はちょっと違うか……
正確には、「ずっと癒しだったのに、気づいていなかった」という感じです。
創作をしていると、たびたび嫌なことを考えます。
「お金にもならないのに、よくやるよな」
「どうせ誰も見てない(聴いてない)でしょ、これ」
「そんな時間があるなら、もっと役に立つことした方が良いんじゃない?」
自分の中の自分が言ってきます。
「これ、意味あるのか?」って。
そして、案外この「自分の中の声」が一番きつかったりします。
誰かに「無駄だ」と言われるより、自分が「無駄かもしれない」と思い始めた瞬間のほうが、何倍も苦しい。
私は、ギターを弾いたり、文章や絵を書いたりしています。
音楽も、エッセイも、イラストも、気が向けば全部やります。
いわゆる、マルチクリエイター気取りってやつです。(気取りかどうかは知らんけど)
単純に、「マルチクリエイター」って名乗った方が相手に伝わりやすいから、そう言ってるだけってのが正直なところでしょうか。
実際には、マルチクリエイターって意識は薄いです。
もちろん、特別こだわっているわけでもありません。
自分のやりたいようにやって、その行為に近しい言葉が「マルチクリエイター」ってだけ。
だから、なんていうか、マルチクリエイターっていう「言葉 / ジャンル / 型」にもハマりたくない感じがします。
なんだか、どこか窮屈に思えて、自分の可能性を押し殺してしまっているような、そんな風にも感じるんですよね。
だからこそ、結局は「村上 亮一」を気取って、そのまま相手に伝わるのが理想なんでしょうね。(気取りかどうかは知らんけど)
ということで、村上 亮一を目指して、引き続き精進します。
……って、すみません。
話が逸れたので戻します。
で、そういう活動をしていると、やっぱり「収益化」という言葉が頭をよぎるんですよね。
再生数、フォロワー数、マネタイズ、ビジネスモデル、などなど……。
いつの間にか、創作が「仕事のタネ探し」になってくる。
楽しいはずの活動に、どこかチェックリストが生まれてくるような感じ。
「これはバズるのか?」
「需要はあるのか?」
「効率的なのか?」
……なんか、楽しくなくなってきませんか?
私はなってくるんですよ。
そんなことを考えながら、何となく絵を描いていたんです。
別に誰かに見せるわけでも、売るわけでも、練習するわけでもない。
ただ、描きたいから描いていただけ。
そして、気づいたら1時間が経ってました。
もちろん、その間に、嫌なことなんて考えていなかった。
「この絵、バズるかな?」なんて、1ミリも考えてなかった。
ただ、気持ち良かっただけ。
夢中で描いてただけ。
そして、気がつきました。
……あれ、もしかして、これって、なんか大事なやつじゃない?
後から調べてみたら、創作活動には「心理的な癒し効果」があるらしいです。
絵を描く、楽器を弾く、文章を書く——こういった表現活動は、ストレスを軽減したり、感情を整理したり、自己効力感を高めたりする効果があるんだとか。
芸術療法(アートセラピー)なんて名前もあるくらいで、実際に医療や福祉の現場でも使われているらしいですよ。
つまり、私が絵を描きながらぼ〜っとしていた1時間は、「セラピー」だったわけです。
いやいや、ちょっと待て。
それって、本来、お金払うやつじゃん?
無料でやれてたじゃん。
なんなら、喜んでやってたじゃん。
じゃんじゃじゃ〜ん(は?)
ここで、あらためて問いたい。
「お金にならない創作は、無駄なのか?」
はい、もちろん、無駄じゃないです。
むしろ、健康投資です。
ジムに通って、体を鍛えますよね?
栄養のことを考えて、食事に気を遣いますよね?
それと同じで、創作は、いわば「心のジム」なんですよ。
「気持ち良いから体を動かす」のと同じように、「気持ち良いから創る」という行為は、十分すぎるくらい正当な理由になります。
健康のために創る。
気持ち良いから創る。
自分が満たされるから創る。
これって、何も恥ずかしくないですよね。
ところで、「無駄を楽しむこと」って、ものすごく大事だと思うんですよ。
そもそも、現代って、何でも「効率」とか「成果」で語られすぎていませんか?
費用対効果。
時間対効果。
いわゆる、コスパやタイパ、そして数字。
もちろん、それらが大事な場面もある。
でも、全部を効率とか成果で測ろうとすると、じわじわと「生きることが苦しくなってくる」んですよね。
何かをするたびに「これは意味があるのか?」と問い続ける人生……
そんな人生、疲れませんか?
私は疲れます。(というか、実際に疲れた経験がある)
子供のころを思い出してみてください。
砂場で山とか何かを作って、最後に崩したことありませんか?
何時間もかけて積み上げたブロックだったり、積み木だったりを、理由もなく壊したことありませんか?
水たまりで遊んで、落ち葉を踏んで、その感触だけを楽しんだことありませんか?
当然、あの頃、「これは意味があるのか?」なんて考えてなかったはず。
ただ、楽しかった。
ただ、やりたかった。
ただ、気持ち良かった。
それで、十分だったんですよね。
けれど、大人になると、「それだけでは不十分だ」と思わされてしまう。
でも、本当にそうでしょうか?
私は最近、「子供のころの自分のように創作しよう」と決めました。
だから、”出来るだけ”後ろめたさは、捨てることにしました。(正直、全部捨てるのはムリです)
バズらなくてもいい。
誰も見ていなくてもいい。
お金にならなくてもいい。
ただ、気持ち良いから描く。
ただ、書きたいから書く。
ただ、作りたいから作る。
それが、自分軸の創作の一部なんだと、少しだけ腑に落ちました。
もちろん、収益化は考えています。
気が向けば、発信もします。
(わずかですが)誰かに届けたいという気持ちもあります。
でも、創作の出発点を「誰かに見せるため」とか「お金を稼ぐため」に置いてしまうと、どこかでしんどくなってくるんですよね。
だからこそ、出発点はあくまで「自分が気持ち良いから」でいい。
そこから先に「誰かに届いたらいいな」が来る。
そんな順番も大事だと、私は思っています。
というわけで。
創作は癒し、って話でした。
ずっと癒しだったのに、気づいていなかっただけでした。
健康のために創る。
(子供のように)無邪気に、後ろめたさゼロで創る。
自分軸で創る。
これが、私の創作の「出発点のひとつ」です。
もちろん、「創作には癒し効果がある」って考えながら創作するのも違いますけどね。
基本的には、内側から溢れる純粋な気持ちだったり情熱を、柔軟に受け止める姿勢が大事だと思います。
当然、難しいですけどね。
自分の気持ちを純粋に(素直に?)受け止めるのって。
とはいえ、創作で「チルい時間」を堪能するのも一興でしょう。
私も、なるべく難しく考えずに、村上 亮一を気取ります。
あなたも、何か「意味なんてない、ただやりたいこと」ありませんか?
それ、たぶん正解ですよ。
ぜひ、元気なうちに、やりましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
以上、村上 亮一でした。



ではでは、したっけね~!


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