「完璧でなければ、世に出せない」
もし、あなたがそんな風に考えてしまい、これまで何度も創作の機会や意欲を失ってきたのなら……。
この記事は、そんなあなたの気持ちを軽くするヒントになるはずです。
今回は、「完璧」という価値観から抜け出すための具体的な思考法――完璧主義ではなく「改善主義」という考え方についてお話しします。
村上 亮一これは、長年私を苦しめてきた「リセット癖」への、私なりの一つの答えでもあります。
なぜ私たちは「完璧」という価値観に囚われるのか?
その答えの一つとして、私たちの気質にあると考えています。
HSPが持つ「些細なことに気づく」という優れた才能。
これが、創作においては、自分自身の作品の「アラ」を、誰よりも先に見つけてしまう能力として発動してしまうのです。
他人であれば見逃すような僅かなノイズや、ほんの少しの違和感などーー
それらに気付けてしまうからこそ、「もっと良くできるはずだ」という思考が止まらなくなる。
特に私のようなHSS型HSPの場合、新しい刺激を求める「アクセル」と、完璧を求める「ブレーキ」を同時に踏み込むため、その葛藤はより一層根深いものになります。



つまり、この気質は才能であると同時に、私たちを「完璧」という価値観に縛り付ける、厄介な特性でもあるのです。
100点を目指した結果、あらゆるモノを失った私の失敗談
何を隠そう、私自身も「完璧」の価値観に縛り付けられ、創作の喜びを失いかけた一人です。
さらに、その症状は創作活動だけでなく、人生のあらゆる場面で顔を出しました。
ケース1:創作における「終わらないリテイク」
それは、音楽制作に没頭していた時のこと。
たった数小節のギターフレーズをレコーディングするのに、半日以上を費やすことも珍しくありませんでした。
自分の中にいる完璧主義の自分が、しつこく指摘し続けるのです。
「そのチョーキング、ちょっとピッチがズレてるわ。はい、録り直し」
「リズムがヨレてるし、クリックより前に突っ込みすぎ。そんな前ノリの曲じゃないから。はい、もう一回」
100点を目指すあまり、テイクを重ねるごとに、演奏から感情は失われ、ただの「正確な作業」になっていく。
そして、好きだったはずのギターを弾くこと自体が、次第に苦痛へと変わっていきました。



加えて、「創ることを楽しむ」という、私の大切にしている哲学が、完璧主義によって踏み躙られてしまったのです。
ケース2:仕事における「繰り返す存在意義の喪失」
この完璧主義は、仕事においても私を苦しめました。
結果として、思い当たるだけでも、コンビニ店員、自動車の整備士、証券マンなど、10回以上も職を転々としてきたのです。
決して、仕事ができない訳ではありませんでした。
むしろ、ありがたいことに、どの職場でも評価していただくことが多かったように思います。
しかし、問題はその後です。
その仕事の「価値」や、自分の「存在意義」が見失われた瞬間、プツリと糸が切れたように、心が動かなくなってしまう。
完璧な仕事ができない、あるいは、この仕事に完璧な価値を見出せないと感じた途端に、すべてを放り出してしまうのです。
だからこそ、自分でも驚くようなタイミングで転職することもありました。
あまりにも突然のことで、周囲を驚かせてしまうこともしばしば……。
自分自身でも理由がわからないため、一時期は「これは、何かの病気なのでは?」と、本気で疑ったこともあります。



しかし、「HSPの気質が関係している」とわかってからは、働くことや転職に対して、いくぶん安心できるようになりました。
ケース3:人間関係における「返信できない」スパイラル
さらに根深いのが、人間関係です。
親しくなればなるほど、LINEやメールの返信が途方もなく難しくなる。
「完璧な返事をしなければーー」
そう思うあまり、短い文章を考えるのに30分以上も悩み、次第に嫌気が差し、結局何も送れずに一日が終わる……。
そんなことの繰り返しでした。
完璧な対応ができないくらいなら、何もしない方がマシだーーそうやって、自ら大切な繋がりを断ち切ってしまう。
何の前触れもなく、突如として連絡が途絶えるのだから、相手は相当驚くでしょうし、私自身も申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
しかし、そうしなければ、「自分自身が納得できない」うえに、「精神や感情が耐えられなくなる」のです。



とはいえ、これもまた、完璧主義が引き起こした、極端な結末と言えるでしょう。
「改善主義」を実践するための、3つの解決策


そんな苦しい経験から、私は完璧主義と決別し、「改善主義」へとシフトすることにしました。
そのために実践している、3つの対策をご紹介します。
対策①:「自分一人ではなく、ユーザーや市場と一緒に100点を目指す」と心得る
「未完成のものを世に出すのが怖い」
その気持ちは、痛いほどわかります。
そこで、まずこう考えてみてはどうでしょうか。
例えば、ブログ記事。
そもそもブログ記事というものは、常に「試作版」なのだ、と。
書籍と違い、ブログはいつでも加筆/修正ができます。
つまり、公開した瞬間から、読者の反応や新しい気づきによって、より良いものへ改善/アップデートされていくことが前提のメディアなのです。
そう考えると、ブログ記事に「完成」は永遠に訪れません。
もちろん、すべての創作物がブログ記事の例に当てはまるわけではないでしょう。



しかし、少なくともブログ記事に関しては、「常に試作版である」というマインドでいるだけで、新しい記事を公開する挑戦のハードルが、グッと下がる気がしませんか?
つまり、自分一人で100点を目指すことは相当に難しく、無意味とは言わないまでも、かなり確度の低い行為というわけです。
だからこそ、(ブログ記事の例のように)とにかく60点程度の状態で作品を世に出す。
それから、ユーザーや市場の反応(要望や問い合わせなど)をもとに、その都度アップデートを繰り返す。
そうすることで、自然と双方が納得できる作品が出来上がるのです。



次第に 「完璧なものを出さなければーー」というプレッシャーが、「ユーザーと一緒に作品を育てていく楽しさ」へと変わりますよ。
対策②:「楽しさ」を判断基準にする
クオリティを追求するあまり、それが「苦痛」に変わってしまったら、元も子もありません。
そこで、「楽しい」と感じられるかどうかを、創作を続けるかどうかの判断基準にするーー
そんな、シンプルなルールを設けるのです。
創作において大切な火種である「楽しさ」や「ワクワク」、そして「納得感」が消えそうになった瞬間、その日の作業は「そこまで」と決める。



これは「諦め」ではなく、本能や直感に従いながら、大切な創作意欲やエネルギーを守る重要な判断になります。
そして、ある程度まで納得できる状態のものを、その時点での「バージョン1.0」として残すのです。
さらに後日、磨きあげる意欲やアイデアが再び湧いてきたら、その時に「バージョン1.1」へアップデートすれば良いでしょう。
この方法であれば、創作の主導権は常にあなた自身が握ることになります。
他人や時間などの外部要因はもちろんのこと、「自分の中にいる、完璧主義の自分」にすら邪魔されることがありません。



無理なく直感に従うことで、嘘偽りのない、納得した創作活動に夢中になれるでしょう。
対策③:「改善を促す自分」を育てる
完璧にこだわる人の中には、「口うるさい評論家(完璧主義の自分)」が潜んでいます。
だからこそ、改善主義者である私たちは、その代わりに「改善を促す自分」を育てましょう。
そうすれば、どんな出来栄えであっても、作品が完成するだけで「改善を促す自分」が褒めてくれるようになります。
「よくやった! ひとまずはバージョン1.0の完成、おめでとう!」
「さっそく世に出そう! それから反応をみて、さらに磨いていこう」
「こんな要望があったけど、どこを改善すれば良くなるだろうか?」
他人との比較ではなく、「昨日の自分より、今日の自分が少しでも良くなっているか」を基準にする。
そして、その小さな「改善」を、自分自身で褒めてあげる。
このマインドセットが、創作を続ける何よりの励みになります。
「とりあえず」の状態であっても、完成させることで自信が付きますし、自然と心地良いループが生まれて、創作がより楽しめるようになるでしょう。



この世には、「完成からしか得られない栄養素」があるのです。(笑)
そもそも「完成」という言葉を疑ってみる
少し話が逸れますが、私たちは「完成」という言葉を、当たり前のように使いすぎていないでしょうか。
例えば、今私たちが使っているスマートフォン。
これは「完成品」として売られていますが、来年にはもっとすごいモデルが出てくるはずです。
つまり、常に新しいもの、より良いものが現れるということは、本当の意味での「完成」はこの世にない、ということです。
もしかしたら「完成品」という言葉は、企業が「さあ、これを買ってください」と商品を売るために使っていた便宜上の言葉が、いつの間にか私たちの創作活動にまで侵食してきたのかもしれません。
少なくとも、神ではない人間が作るものに、絶対的な完成などあり得ない。
一つの作品を完成とした瞬間から、それはもう「より良いもの」へ向かうことができる「可能性の塊」になる。



そう考えると、100点満点の「完成」に固執することが、少しだけ馬鹿らしくなり、そして心が軽くなりませんか?
最後に:完璧主義をやめて「改善」を楽しみ、ひとまず前進しよう
「改善主義」は、決して妥協ではありません。
むしろ、完璧という幻想に囚われ、何も生み出せなくなることこそが、最大の停滞であり「妥協」なのです。
不完全でいい。
まずは「バージョン1.0」を世に出すこと。
そして、反応を見て、学び、改善を楽しむ。
その「創る・学ぶ・楽しむ」のサイクルを回し続けることこそが、HSPである私たちが、自分らしく輝き続けるための方法なのだと、私は信じています。



そして何より、かつて成功から逃げ続けた私が、こうして発信を続けられているのも、「改善主義」を手に入れたから。
言うまでもなく、このブログが何よりの証明なのです。
さあ、何か一つでいい。
今から完璧を目指すのをやめて、あなただけの「改善の一歩」を踏み出してみませんか?
「とりあえず」の完成を繰り返し、ゆっくりと前進して、納得した人生と創作を謳歌しましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
以上、村上 亮一でした。



ではでは、したっけね~!


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