「ずいぶん長いこと、ギターを弾いてない……」
「あんなにギターが好きだったのに、今は触りたくもない……」
「音楽を諦めるなんて、これまでの自分を裏切ることになるんじゃないか?」
もし、あなたが今、そんな「ふわっとした罪悪感」や、「言葉にならない焦燥感」に苛まれているとしたらーー
村上 亮一この記事は、そんなあなたの心の重荷を降ろすために書きました。
かつてプロのギタリストを目指し、寝る間も惜しんでギターを弾き続け、そして全力で「音楽から逃げ出した」経験を持つ私だからこそ、伝えられることがあります。
世間では「継続は力なり」と言われ、途中でやめることを「逃げ」や「挫折」と、ネガティブに決めつける風潮がありますよね?
しかし、HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という繊細な気質を持つ私たちにとって、その「継続」こそが、時に心を蝕む「原因」に変わってしまうことがあるのです。



だからこそ、結論から言えば、音楽から離れることは、決してネガティブなことではありません。
音楽から離れることは、あなたが自分の心に耳を傾け、納得した人生を送るための、主体的な「選択」に他ならないのです。
この記事では、なぜ私たちが「離れること」に罪悪感を抱いてしまうのか、そして、その休息がいかに未来のあなたを豊かにするのかを、私の実体験とHSPの特性、そして音楽的な視点から考察していきます。
読み終える頃には、あなたはきっと、ギターや音楽から離れた自分を誇らしく思えるようになっているでしょう。
「継続」という強迫観念|他人軸が生む絶望感
私たちは、いつから「やめること」を悪だと信じ込むようになったのでしょうか?
「一度始めたら最後までやり遂げなさい」
「石の上にも三年」
「プロを目指すなら、一日も練習を欠かしてはいけない」
こうした社会的なメッセージは、私たちの深層心理に深く、根強く刻まれています。



特にHSPは、他者の期待や社会的な評価を敏感に察知するがゆえに、こうした「正論」を人一倍強く受け止めてしまいがちです。
「周りの期待に応えなければーー」
「ここでやめたら、これまで応援してくれた人に申し訳ない……」
そうした「他人軸」の思考に支配されると、音楽は「表現の喜び」から「果たすべき義務」へと変貌してしまいます。
「演奏しなきゃいけない」という強迫観念が心を満たしたとき、あなたの内側から湧き出るはずの「演奏したい」という純粋な欲求は、途端に崩れ去っていくでしょう。



かくいう私自身、かつてはこの過剰な「継続の価値観」に縛られていました。
中学2年生でギターに出会い、B’zの松本孝弘さんに憧れ、札幌の音楽専門学校へ進学。
「音楽で生きていく」という目標以外、目に入らない日々を送っていました。
しかし、そこにあったのは、終わりのない練習と、他人との比較、そして「上手くなければ価値がない」という過酷な機能的価値(スキルの優劣)の世界ーー
日々の練習を「面倒」だと感じる自分でさえ、なかなか許せませんでした。
「こんなに辛いならやめてしまいたい」という本音を、私は「甘えだ」と一蹴し、無理やり蓋をして演奏を続けていたのです。



つまり、私がかつて抱いていた「情熱」は、いつの間にか、自分を追い詰めるための「凶器」に変わっていたというわけです。
HSPが「音楽の現場」で摩耗する科学的な理由
なぜ、音楽を愛しているはずの私たちが、これほどまでに疲弊してしまうのでしょうか?
そこには、HSP特有の脳の働きが関係していると考えられます。
HSPの根幹をなす「DOES(ダズ)」という特性は、音楽という環境において、凄まじいエネルギーを消費させます。



例えば、ライブハウスという空間を想像してみてください。
- O(Overstimulation):刺激に敏感
爆音のスピーカー、眩しい照明、観客の熱気、そして共演者の緊張感。
これらすべての刺激を、HSPの脳は非HSPの数倍の強度で受け取ります。 - E(Empathy):高い共感力
観客の一人ひとりが何を求めているのか、自分がどう見られているのかを、無意識のうちに解析し続けてしまいます。
私の場合、多い月には100曲近い楽曲を演奏していましたが、ステージに立つたびに、心身への痛みが増していきました。
華やかなステージの裏側で、私の神経は常にオーバーロード(過負荷)状態に陥っていたのです。
終演後、打ち上げにも参加できず、ただ暗い部屋で泥のように眠り、次のライブの予定を見るだけで億劫に感じる日々ーー
「好きなことをしているのに、なぜこんなに落ち込むんだろう……?」



当時はその理由がわからず、自分を「体力も根性もない落ちこぼれだ」と責め続けていました。
しかし、今ならわかります。
それは私の「心が弱い」からではなく、気質上、私の「アンテナが鋭すぎた」だけなのです。
危険を知らせるアラームが鳴り響いているのに、無理やり演奏を続けようとすれば、心身が壊れてしまうのは当然の結果と言えるでしょう。
音楽から「逃げた」先で見つけた、私だけのオアシス


心身の限界を迎えた私は、ついに「逃げる」ことを決意しました。
それまで築き上げてきた人間関係や居場所、プロへのチャンスなどを、自らリセットしたのです。
世間から見れば、それは輝かしいキャリアを捨てた「敗北」に見えたかもしれません。



しかし、私にとってその決断は、自分という人間の「尊厳」を取り戻すための、必死の避難でした。
一度、ギターをクローゼットに仕舞い込み、音楽という言葉さえ聞きたくない時期が数年続きました。
その間、私は特に何もしませんでした。
ただ、静かな部屋で過ごし、散歩をし、食事をし、余裕があれば「何をしたいか?」と自分に問いかける日々。
すると、不思議なことが起こりました。



あんなに嫌いになったはずの音楽への意欲が、ある日突然、少しだけ芽吹いたのです。
「あっ、ちょっとだけギターを弾いてみたいかも……」
それは「誰かに聴かせるため」でも「上手くなるため」でもない、自分の内側から溢れ出た純粋な「自分軸」の欲求でした。
しかも、私は再びギターを手に取りましたが、以前とは向き合い方が180度変わっていたのです。
それは、爆音のライブハウスではなく、静かな自室での「宅録(DTM)」というスタイル。
誰にも邪魔されず、自分のペースで音楽を作っていく時間は、私にとって最高の楽しみであり、癒やしになりました。
さらに、ここ最近はAIという新しい技術を活用することで、かつて苦痛だった作業から解放され、純粋に「表現」だけを楽しむことができるようになったのです。



つまり、私は「音楽というジャンル」から逃げたのではなく、「自分に合わない音楽の形」から逃げ、自分だけの「居場所(オアシス)」を見つけたというわけです。
人生という楽譜における「休符」の価値


音楽を学んできた方なら、きっとご存知のはずーー
「休符」とは、ただ音が鳴っていない時間ではありません。
休符は、次に鳴る音に「命」を吹き込み、メロディに「意味」を与えるための、重要で能動的な表現の一部です。
もし、楽譜が音符だけで埋め尽くされていたとしたら……。
それはもはや音楽ではなく、ただの「騒音」に他なりません。



さて、私たちの人生も、これとまったく同じではないでしょうか?
常に何かを成し遂げようと躍起になり、自分を追い込み続ける人生は、休符のない騒々しい曲のようなものです。
つまり、あなたが音楽から離れている時間は、人生という楽曲における「休符」ーー
この空白の時間があるからこそ、次にあなたがギターを弾くとき、その音色にはかつてないほどの深みと説得力が宿るのです。



とはいえ、「離れている間に腕が落ちる」「忘れ去られてしまう」といった不安があるかもしれません。
しかし、断言します。
あなたが音楽に注いできた情熱や流した汗、培った感性などは、たとえ10年離れたとしても、あなたの血肉となって生き続けています。
むしろ、適切に休むことで、内側の音楽はより豊かになり、熟成され、再び溢れ出てくる時が必ずやってくるのです。
今の苦しみは、終わりではなく、あなたがさらに輝くための「通過点」に過ぎません。
だからこそ、勇気を持って、今は「休符」を十分に味わってください。
機能的価値を捨て、感情的価値に生きる
ここで一つ、ビジネスやマーケティングの世界で使われる「機能的価値」と「感情的価値」という視点を取り入れてみましょう。



これまでのあなたは、音楽に対して「機能的価値」ばかりを求めていたのではありませんか?
- 指が速く動くか(テクニック)
- 有名になって、立派なステージに立てるか(ステータス)
- 誰よりも知識があるか(教養)
もちろん、これらも素晴らしい要素です。



しかし、HSPである私たちが本当に守るべきは、その先にある「感情的価値」です。
- この音楽で、どれほど心が震えるか
- 音を奏でることで、どれほど自分が納得して救われるか
- 静かな空間で、ただ音楽と溶け合う瞬間の多幸感を得られるか
つまり、「上手いかどうか」なんて、二の次でいいのです。
「誰かの役に立つか」なんて、今は考えなくていい。
あなたが、あなた自身を楽しませるために、そして、人生を豊かにするために、ギターや音楽というツールがあるーー



そのためには、時に音楽から離れ、心身のバランス(交感神経と副交感神経の調和)を整えることが、何よりも優先されるべき「仕事」になります。
私自身、先日、2日間ほど家に引きこもって作業に没頭しすぎた結果、ひどいめまいに襲われ、仕事を休む羽目になりました。
頭(思考)ばかりを使い、体と心のケアを怠ったことで、心身のバランスが崩れてしまったのです。
この経験からも、私は改めて「バランス」と「休息」の重要性を痛感しました。
「やりすぎないこと」
「ほどほどにやること」



これこそが、私たちHSPが末長く、納得しながら表現を続けていくための生き方なのでしょう。
結論:すべては通過点である
最後に、今まさに「逃げ出したい」と願っているあなたへ、私からメッセージを贈ります。



どうか、今の自分を責めないでください。
音楽から離れたいと思うのは、あなたがそれだけ、音楽に対して誠実に向き合ってきた証拠です。
そもそも、誠実に向き合っていない人は、絶望することさえありません。
あなたが流した悔し涙は、いつか必ず、あなただけの唯一無二の音楽を生み出す「糧」となります。



繰り返しますが、音楽は逃げません。
あなたが何年休もうと、何十年離れようと、あなたが再びチャレンジするとき、音楽はいつでも迎えてくれるでしょう。
だからこそ、今は楽器を弾かずに、ゆっくりと過ごしてください。
美味しいものを食べ、自然に触れ、何もしない贅沢を自分に許してあげてください。
自分を「守る」ために、堂々と逃げてください。



あなたが自分軸を取り戻し、心穏やかに過ごせるようになったとき、再び手にする楽器は、かつてないほど「自由な音」、ひいては「本来の自分の音」を奏でてくれるはずです。
世界がどんなに速く回っていても、あなたはあなたのテンポでいい。
あなたの人生が、誰かの評価ではなく、あなた自身の納得感で満たされることを、心から願っています。
大丈夫、すべては「通過点」。
ぜひ、自分軸の音楽ライフ、ひいては、納得感のある人生を謳歌しましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
以上、村上 亮一でした。



ではでは、したっけね~!


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