「また、考えすぎてしまっている……」
- 他人の些細な言動が気になり、一晩中ぐるぐると反芻(はんすう)してしまう。
- 相手の期待に応えようと必死に笑顔を作り、家へ帰ると同時にどっと疲れが押し寄せる。
- SNSを開けば、きらびやかな人たちの投稿によって、自分の人生が色褪せて見えてくる。
村上 亮一あなたは、そんな風に感じたことはありませんか?
もし、あなたがこれらの感覚に少しでも心当たりがあるのなら。
そして、その繊細で敏感すぎる心を「欠点」だと感じ、生きづらさを抱えているのならーー
この記事では、そんなあなたの悩みを解消できる、具体的なヒントや答えを提示できるかもしれません。



かくいう私も、長年にわたり、他人の評価に縛られ、身動きが取れなくなっていました。
また、HSP特有の鋭敏な感受性は、時として諸刃の剣になります。
人の気持ちを深く察知できる一方で、その感情の波に飲まれ、自分自身を見失ってしまうのです。
「どうして誰も、私のことをわかってくれないんだろう?」
「もっと『普通』に振る舞えたら、どれだけ楽だろうか?」
そんな孤独と自己否定を続ける中で、ある一冊の本が私に大きなヒントを投げかけてくれました。



それが、今回ご紹介する『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』です。
この本は、生ぬるい慰めや一時的な気休めを与えてくれるような、優しい自己啓発書ではありません。
むしろ、私たちの価値観を根底から覆し、常識をひっくり返すような、強烈な「劇薬」とも言える一冊でしょう。
しかし、この劇薬こそが、私たちが囚われている「承認欲求」という名の呪縛を解き放ち、「自分の人生」を自分の足で歩み出すための、何よりの処方箋となるのです。



この記事では、「嫌われる勇気」が示すアドラー心理学の教えを、私自身のHSPとしての経験や、マルチクリエイターとしての生き方と重ね合わせながら深掘りしていきます。
- なぜ、私たちは過去のトラウマに縛られてしまうのか?
- 人間関係の悩みを9割減らす、驚きの思考法とは?
- 「承認」を捨てた先に、一体どんな「幸福」が待っているのか?
読み終える頃には、あなたが「欠点」だと思っていたその繊細さが、実は「自分だけの人生を深く味わうための、最高の才能」であったことに気付くはずです。
第1章:すべての不幸は「目的」のために作り出される|アドラー心理学が暴く「原因論」の嘘
あなたは、何か新しい挑戦をしようとした時、こんな声が頭の中に響いたことはありませんか?
「昔、みんなの前で笑われたから、人前で話すのは無理だ」
「周りから否定されて育ったから、自分に自信が持てないんだ」
私たちは、うまくいかないことがあると、つい過去の出来事の中に「原因」を探してしまいます。
過去のあの経験がトラウマになって、今の自分を苦しめているのだ、と。



これを、心理学では「原因論」と呼びます。
特に、私たちHSPは、過去の記憶を鮮明に、それも感情のディテールまで含めて記憶していることが多いでしょう。
だからこそ、この「原因論」の罠に陥りやすいのです。
過去の傷が、現在の自分を規定してしまっているかのように感じてしまうーー
しかし、アドラーは、この考え方を真っ向から否定します。
「トラウマは、存在しない」と。



衝撃的な言葉ですよね。
私も初めてこの一節を読んだ時、かなり衝撃を受けました。
「じゃあ、私が今まで抱えてきたこの痛みは、一体何だったんだ?」と。
アドラー心理学が提示するのは、「原因論」とは正反対の「目的論」という視点です。
これは、「人は過去の原因によって動かされるのではなく、今ここにある目的を達成するために行動している」という考え方です。
先ほどの例で考えてみましょう。
「不安だから、人前で話せない」のではありません。
「人前で話したくない(失敗して傷付きたくない、無能だと思われたくないなど)」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、「不安」という感情を自ら作り出している、とアドラーは喝破します。
つまり、感情でさえも、私たちを突き動かす不可侵なエネルギーではなく、目的を達成するための「道具」に過ぎない、というのです。



これは、私自身の経験にも突き刺さる指摘でした。
私はギタリストとして活動していた頃、時折ライブのステージに立つのが怖くてたまらなくなることがありました。
指が震え、頭が真っ白になり、練習したフレーズが弾けなくなるーー
その原因を、私は「過去に失敗したライブの経験」にあると思っていたのです。
しかし、アドラー心理学に触れて、私は気付かされました。



本当は、「失敗して自分のプライドが傷付くのが怖かった」だけなのだと。
「もし本気でやって評価されなかったら、もう立ち直れない」という恐怖ーー
その「挑戦から逃げたい」という目的を正当化するために、私は無意識のうちに過去の失敗を引っ張り出し、「トラウマのせいで弾けない自分」を演じ続けていたに過ぎなかったのです。
この「目的論」は、一見すると非常に厳しい考え方でしょう。
なぜなら、自分の不幸は、すべて自分が作り出しているのだ、と突きつけられるからです。
しかし、ここには、とてつもない希望が隠されています。
もし、あなたの今の状況が、すべて過去の原因によって決定されているのなら、過去を変えられない以上、あなたは永遠に変わることができません。



つまり、あなたは「過去の奴隷であり続けるしかない」というわけです。
ところが、もし、あなたの今の状況が、あなた自身の「目的」によって選ばれているとしたら?
目的は、今この瞬間から、選び直すことができます。
「何が与えられているか」は問題ではない。
大切なのは、「与えられたものを、どう使うか」なのです。
- HSPという繊細な気質。
- 過去の辛い記憶。
これらは、あなたを不幸にする「原因」ではありません。
あなたがこれからどんな人生を歩むのかを決めるための、ただの「材料」でしかないのです。
その材料を使って、豪邸を建てるのか、廃墟を作るのか?



その選択権は、他の誰でもない、あなた自身が握っているのです。
第2章:人間関係の悩みを9割減らす驚きの言葉|「それは、誰の課題か?」
さて、自分の人生の舵を自分で握る決意をしたーー
しかし、私たちの前には、もう一つの巨大な壁が立ちはだかります。
そう、「対人関係」です。



アドラーは、こう断言します。
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と。
一見、個人的な悩みだと思われるお金や健康の悩みでさえ、突き詰めれば「他者との比較」や「他者の存在」がなければ成立しない、と彼は言います。
なぜなら、もし宇宙にたった一人で存在しているなら、私たちは悩みはおろか、孤独すら感じることができないからです。
特に、他人の感情や場の空気を敏感に察知してしまうHSPにとって、この対人関係はまさに悩みの根源と言っても過言ではないでしょう。
- 相手が不機嫌なのは、私のせいだろうか?
- こんなことを言ったら、嫌われてしまうのではないか?
- あの人を助けてあげなければ……。
そんな風に、常に他人の感情に振り回され、心をすり減らしてしまうーー



それは、他人の庭に土足で踏み込み、自分の庭にも土足で踏み込ませているような状態です。
この、複雑に絡み合った対人関係の糸を解きほぐすメスーー
それが、アドラー心理学の核心的実践法である「課題の分離」です。
これは、非常にシンプルな考え方。
目の前にある課題に対して、「その選択によってもたらされる結末を、最終的に引き受けるのは誰か?」と自問するだけです。
そして、「それは自分の課題ではない」と判断したものについては、一切介入しない。
同時に、「自分の課題」についても、他者からの介入を断固として拒否するのです。



例えば、あなたが誰かに何か親切なことをしたとします。
それに対して、相手が感謝するのか、あるいは「余計なお世話だ」と不快に思うのかーー
それは、相手が判断し、相手がその感情の結末を引き受けるべき「相手の課題」です。
言うまでもなく、あなたがコントロールできる領域ではありません。
逆もまた然り。
あなたが自分の信念に従って何かを発言したとします。
それに対して、周囲があなたを「素晴らしい」と称賛するのか、「空気が読めないやつだ」と嫌うのかーー
それは、「相手の課題」です。



だからこそ、あなたが相手の評価を気にして、自分の言動を捻じ曲げる必要は一切ないのです。
「そんなことをしたら、ただの自己中心的な人間だと思われないか?」
そう感じるかもしれません。
もちろん、私も最初はそう思いました。
相手の気持ちを考えるのが「優しさ」だと信じていたからです。
しかし、これは「突き放す」こととは全く違います。
むしろ、これは相手への「信頼」の証なのです。
「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」
本書で引用されている、このイギリスのことわざが本質を表しています。
あなたにできるのは、相手が助けを求めてきたときに、いつでも手を差し伸べられる準備をしておくことだけ。
相手が自分の力で課題を乗り越えられると信じて、静かに見守ることーー



それが、本当の意味での「支援」であり、「勇気付け」なのです。
さらに、この「課題の分離」は、HSPが陥りがちな「共感疲れ」に対する、最高の処方箋です。
私はかつて、ブログで「『汚い人』から離れよう」という記事を書きました。
ここで言う「汚い人」とは、物理的な不潔さだけでなく、平気で嘘をついたり、他人を貶めたり、自分の機嫌を周囲にまき散らしたりする人のことです。
HSPは、そうした負のエネルギーをスポンジのように吸い取ってしまい、勝手に消耗してしまいます。



当時はまだ「課題の分離」という概念を知りませんでしたが、今思えば、これも同じことだったのです。
相手がどんなに不機嫌であろうと、どんなに理不尽な要求をしてこようと、それは「相手の課題」。
私がそのゴミ(負の感情)を拾い集め、自分の心の中をゴミ屋敷にする義務も義理も、どこにもないのです。
「これは、私の課題ではない」
この言葉を心の中で唱えるだけで、あなたの肩に重くのしかかっていた荷物の、その9割は下ろすことができるでしょう。
そうして空いた心のスペースに、あなたは本当に大切にすべき「自分の課題」を置いてあげればいいのです。
第3章:「承認」を捨てた先に、本当の「幸福」がある|共同体感覚と貢献感
「課題の分離」を実践し、他人の評価から自由になるーー
その先にあるものこそ、本書のタイトルでもある『嫌われる勇気』です。
アドラーは、こう言い切ります。
「自由とは、他者から嫌われることである」と。



この言葉もまた、強烈ですよね。
誰だって、人から嫌われたくはありません。
むしろ、「好かれたい、認められたい」と願うのが、人間ではないでしょうか?
この「認められたい」という欲求、すなわち「承認欲求」を、アドラー心理学は「否定」します。
なぜなら、承認を求める生き方とは、結局のところ「他者の期待を満たすために生きる」ことに他ならないからです。
それは、他人が決めた価値基準や評価軸の上で、必死に綱渡りを続けるようなもの。
常に他人の顔色を窺い、自分の人生の主導権を、他人に明け渡してしまっている状態です。
考えてみてください。
他人は、あなたの期待を満たすために生きているのではありません。
それならば、あなたもまた、他人の期待を満たすために生きる必要はないのです。
「いいね」の数に一喜一憂し、上司の機嫌を取り結び、世間の「普通」から逸脱しないように息を潜める……。



そんな不自由な生き方を続けるために、私たちは生まれてきたのでしょうか?
無論、そんなことはありません。
嫌われることを恐れず、承認されないというコストを支払ってでも、自分の信じる道を歩むーー
その勇気を持った時、私たちは初めて、真の意味で「自由」になれるのです。
「でも、そんな風に自分勝手に生きて、一体何の意味があるんだ?」
「承認を捨ててしまったら、何を目指して生きていけばいいんだ?」
そう、思いますよね。
ここでアドラーが提示する、承認欲求に代わる人生の指針ーー



それが「共同体感覚」であり、そこから得られる「貢献感」です。
「共同体感覚」とは、他者を「競争相手」や「敵」と見なすのではなく、対等な「仲間」であると捉え、その共同体の中に「自分の居場所がある」と感じられる状態のことです。
そして、「貢献感」とは、その共同体(仲間)に対して、「自分は役に立っている」と、主観的に感じることーー
これこそが、アドラー心理学における「幸福」の定義なのです。
ここで重要なのは、2つのポイントです。
1. 貢献は「行為」のレベルだけでなく、「存在」のレベルでもいい
何か特別なことを成し遂げなくても、ただそこにいるだけで、あなたは誰かの役に立っています。
病気で寝込んでいる家族も、存在してくれるだけで心の支えになるように、人の価値は「何ができるか」だけで決まるものではありません。
2. 貢献感は、「主観的」な感覚でいい
実際に相手から「ありがとう」と言われる必要はありません。
他者がどう評価するかは「他者の課題」です。
あなたが「私は貢献できている」と心から思えれば、それだけであなたは幸福なのです。
他者からの承認を必要としない、自己完結した幸福がここにあります。



この「貢献感」という視点は、私が提唱する「マルチクリエイター」という生き方と、深く共鳴します。
私はかつて、「ギタリストとして一流にならなければ価値がない」という強迫観念に囚われていました。
しかし、HSS型HSPの気質を持つ私は、ギターだけを突き詰めることに息苦しさを感じていたのです。
音楽だけでなく、文章も、デザインも、イラストも、写真も、あらゆることに興味が湧いてしまうーー
そんな自分を「中途半端だ」と責めていた時期もありました。



しかし、この「貢献感」という考え方に触れ、視界が拓けたのです。
専門家として一つの山を極めるだけが、貢献の形ではない。
- 私が持つ、音楽の知識や経験。
- 文章を書くスキル。
- HSPとして人の心に寄り添う力など。
これらを掛け合わせることで、私にしかできない、唯一無二の貢献ができるのではないか?
そう考えるようになったのです。
例えば、音楽の専門的な知識を、HSPの視点からわかりやすく文章で解説する。
私の発信に触れた誰かが、ほんの少しでも前向きな気持ちになってくれたり、新しい一歩を踏み出す勇気を持ってくれたりする。



それら一つひとつが、ささやかではあっても、確かな「他者貢献」です。
そして、その貢献を実感できた時、私は、他者からの承認など必要としない、揺るぎない幸福感に満たされるのです。
だからこそ、あなたも特別な才能や実績など探す必要はありません。
あなたが今まで生きてきた中で得た経験、感じてきたこと、学んできたことーー
その全てが唯一無二、誰かへの貢献に繋がる、かけがえのない「資源」なのです。
第4章:人生に意味はない。だからこそ「いま、ここ」を真剣に踊れ


「目的論」「課題の分離」「貢献感」ーー
アドラー心理学の教えを実践し、いよいよ私たちは、自分の人生を生きるスタートラインに立ちました。
では、これからどこへ向かって歩いていけばいいのでしょうか?
そもそも、人生の「意味」とは、一体何なのでしょうか?
ここでアドラーは、またしても私たちの常識を覆す、衝撃的な言葉を投げかけます。



「一般的な人生の意味は、ない」と。
人生は、山登りのようなものではない、と彼は言います。
山頂に「成功」というゴールがあって、そこに至るまでの道のりはすべて「途上」である、という考え方ではないのです。
アドラーが提示する人生の姿は、「連続する刹那(点)」。
そして、その人生のあり方は、山登りではなく「ダンス」に喩えられます。
ダンスを踊っている人は、どこかへ到達することを目的にしてはいません。
踊ること、そのもの。
「いま、ここ」でステップを踏んでいる、その瞬間そのものが目的であり、喜びなのです。
踊り続けていれば、結果的にどこかにたどり着くかもしれない。
しかし、たどり着けなかったとしても、踊ってきたその瞬間瞬間が充実していれば、その人生は常に「完結」しているのです。



この考え方は、私たちを「過去の後悔」と「未来の不安」から、一気に解放してくれます。
「あの時、ああしていれば……」
「この先、どうなってしまうのだろう……」
そんな風に、過去や未来にばかりピントを合わせる生き方を、アドラーは「人生最大の嘘」と呼びます。
それは、「いま、ここ」で向き合うべき課題から目を逸らすための、臆病な言い訳に過ぎない、と。
「いま、ここ」に、強烈なスポットライトを当てる。
そうすれば、暗い舞台袖(過去)も、眩しすぎる客席(未来)も見えなくなる。
ただ、光の当たっている「いま、この瞬間」にだけ、全エネルギーを注ぎ込むのです。



そして、この「いま、ここ」を真剣に生きるために、もう一つ大切な勇気があります。
それは、「普通であることの勇気」です。
- 特別な存在にならなければ、価値がない。
- 誰よりも優れていなければ、意味がない。
そういった「特別であること」への執着を、手放す勇気です。
平凡な自分を、そのまま受け入れる。
非凡な成功を目指すのではなく、目の前にある「普通の」仕事や家事を、ただ真剣に、丁寧に、心を込めてやってみる。



その一つひとつの「点」が、あなたの人生という、唯一無二の美しい模様を描いていくのです。
人生に、あらかじめ用意された意味などありません。
だからこそ、「人生の意味は、自分自身が与えるもの」なのです。
そして、その意味付けに迷った時、私たちがいつでも立ち返るべき「導きの星」があります。
それが、ここまで繰り返し述べてきた「他者貢献」です。
この星さえ見失わなければ、あなたはどんな道を歩んでもいい。
誰かに嫌われることを恐れず、自由に、あなただけのダンスを踊り続けていいのです。
【結論】『嫌われる勇気』は、繊細すぎる私たちへの「人生の取扱説明書」だった
ここまで、「嫌われる勇気」が示すアドラー心理学の教えを、私の解釈を交えながらお伝えしてきました。
この本は、単なるベストセラーの自己啓発書ではありません。
特に、私のようなHSP、つまり、生まれながらにして世界の解像度が高すぎる人間にとって、これは「自分という人間を、どう扱えば幸せになれるか」を教えてくれる、人生の取扱説明書だったーー



そう、私は感じています。
- 私たちは、繊細すぎるがゆえに、他人の価値観に自分を合わせてしまいます。
- 私たちは、深く考えすぎるがゆえに、過去の原因に囚われてしまいます。
- 私たちは、共感しすぎるがゆえに、他人の課題まで背負い込んでしまいます。
アドラーの教えは、そのすべてに対して、力強く「NO」を突きつけます。
あなたの人生の主人公は、あなた以外の誰でもない。
他人の評価という呪縛から自らを解き放ち、貢献感という名の幸福を、自らの手で掴み取るのです。



とはいえ、「嫌われる勇気」は劇薬。
読む人によっては、その厳しさに反発を覚えるかもしれません。
しかし、もしあなたが、今の生きづらさから本気で抜け出したいと願うのなら。
他人の人生を生きるのをやめて、自分だけの人生を始めたいと切望するのならーー
ぜひ、この本を手に取ってみてください。
そして、嫌われることを恐れず、あなたの人生を、あなたの足で歩み出す、その最初の一歩を踏み出してみてください。
その先には、あなたが「欠点」だと思っていたその繊細さが、世界を誰よりも豊かに味わうための「最高の才能」として輝く、新しい景色が広がっているはずです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
以上、村上 亮一でした。



ではでは、したっけね~!


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