「どうして、あの人は私のことを分かってくれないのだろう?」
「もっと認められたい! 評価されたい!」
「周りの視線が気になって、本音を言えない……」
あなたは、そんな息苦しさを感じながら、毎日を過ごしていませんか?
他人の期待に応えようと自分をすり減らし、SNSでの「いいね」の数に一喜一憂し、誰かに嫌われることを恐れるあまり、自分の本心を押し殺してしまう……。
もし、そんな状況に、少しでも思い当たる節があるのなら。
そして、あなたが「自分の人生の主導権」を取り戻したいと考えているのならーー
村上 亮一この記事では、そんなあなたの悩みや不安を解消できるような一冊を紹介したいと思います。
今回ご紹介するのは、あまりにも有名であり、そして衝撃的な一冊、『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』です。
この本は、単なる自己啓発書ではありません。
あなたの価値観を根底から揺さぶり、世界の見え方そのものを180度変えてしまうほどの力を持った「劇薬」であり、同時に、あなたをあらゆる悩みから解放してくれる一冊でもあります。
この記事では、私が本書から受けた衝撃と、そこから得た「本当の自由」に至るための具体的な方法を、私の解釈も交えながらお伝えしていきます。



この記事を読み終える頃には、あなたを縛り付けていた「何か」の正体が分かり、それを断ち切るための「勇気」が出ているはずです。
これは劇薬か、それとも……?――アドラー心理学との対話
本書の形式は、とてもユニーク。
物語は、人生に悩み、他者との比較や劣等感に苦しむ一人の「青年」が、ギリシア哲学を源流とする「アドラー心理学」を体現する「哲人」の元を訪れ、その教えを論破しようと試みる場面から始まります。
全編が、この二人による対話形式(ダイアローグ)で構成されているのです。



これが、本書を単なる難解な思想書ではなく、スラスラと読み進められる、知的なエンターテインメントへと昇華させている最大の特徴でしょう。
そして、青年の抱く悩みや疑問は、驚くほどに普遍的。
それは、かつての私が抱いていた悩みであり、そして今、この記事を読んでいるあなたの悩みそのものかもしれません。
「なぜ、私は変われないのか?」
「トラウマは、確かに存在するのではないか?」
「結局、人生は不公平ではないか?」
そんな青年の疑問に対し、哲人は、時に優しく、時に厳しく、アドラー心理学の真髄を説いていきます。
「世界はどこまでもシンプルである」
「人は、今、この瞬間から変われるし、幸福にさえなれる」



そんな、にわかには信じがたい言葉から、対話は幕を開けます。
青年が私たちの気持ちを代弁してくれるおかげで、私たちは彼の隣に座り、共に哲人の言葉に耳を傾け、共に反論し、共に打ちのめされ、そして共に、新しい世界の扉を開けていく体験ができるのです。
本書が「自己啓発の源流」と呼ばれる所以は、小手先のテクニックや一時的な気休めを説くのではなく、私たちが拠って立つ「人生の前提」そのものを、根っこから問い直してくる点にあります。
もちろん、それは心地良いだけの教えではありません。
むしろ、これまでの生き方や価値観を否定されるような、厳しさの連続……。
しかし、その厳しさの先には、これまで誰も教えてくれなかった、圧倒的な「自由」が待っているのです。
「すべての悩みは対人関係の悩みである」――世界がひっくり返る衝撃の真実
本書の中で私が最も驚き、そして同時に、目の前の霧が晴れるような感覚を覚えた一節があります。
それは、哲人が放った、衝撃的な言葉でした。
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」



にわかには、信じられないかもしれません。
私も、お金の悩み|健康の悩み|将来への不安など、それらはすべて「自分個人の問題であって、対人関係とは無関係ではないか?」ーーそう思いました。
しかし、哲人は冷静に、しかし断固として言うのです。
「もし、この宇宙にあなた一人しか存在しなかったとしたら?」
- あなたは、誰かと自分を比べて劣等感を抱くでしょうか?
- あなたは、誰かの視線を気にして、自分の容姿に悩むでしょうか?
- あなたは、孤独を感じるでしょうか?
無論、そんなことはありえません。
- お金という紙切れに価値が生まれるのも、社会という「他者」の集合体が存在するからです。
- 自分の容姿が気になるのも、「他者の目」という存在を意識しているからです。
- 孤独を感じるためですら、私たちは「他者」を必要とするのです。
つまり、私たちが抱えるあらゆる苦悩の根源には、必ず「他者」の存在が介在しているーー



これが、アドラー心理学の出発点なのです。
そして、この衝撃的な真実とセットで提示されるのが、アドラー心理学の根幹をなす「目的論」という考え方。
そもそも、私たちは、フロイト的な「原因論」に慣れ親しんでいます。
原因論とは、「過去の〇〇という出来事(原因)があったから、今の私はこうなってしまった(結果)」という考え方です。
代表的なものが、いわゆる「トラウマ」の存在でしょう。



しかし、アドラーは「トラウマは存在しない」と、明確に否定します。
過去の出来事が、現在のあなたを「決定」しているのではないーー
そうではなく、あなたが「〇〇したくない」という「目的」を先に持っていて、その目的を達成するための「手段」として、過去の記憶や不安という感情を、自分で作り出しているのだ、と。
例えば、
- 「不安で外に出られない」のではありません。
「外に出たくない」という目的を達成するために、不安という感情を「道具」として引っ張り出して、利用しているのです。
- 「カッとなって怒鳴った」のではありません。
「相手を屈服させたい」という目的を達成するために、怒りという感情を「捏造」したのです。
衝撃的ではありませんか?
これは、あなたのこれまでの人生を支えてきた「言い訳」を、完全に否定することに繋がります。



しかし、同時に、これこそが大きな希望でもあるのです。
なぜなら、もし、あなたの不幸の原因が「過去」にあるのなら、過去を変えられない以上、あなたは「永遠に不幸のまま」で終わってしまうからです。
しかし、もし、あなたの不幸が「今、ここ」の「目的」によって作り出されているのならーー
その目的は、あなた自身の意志で「今、この瞬間から選び直すことができる」のです。
だからこそ、「何が与えられているか」で人生が決まるのではありません。
「与えられたものを、どう使うか」で、人生は決まるのです。



この「目的論」の視点を得たとき、私は、自分を縛り付けていた過去(トラウマなど)から解放され、世界がまったく違う色合いで見え始めたのを鮮明に覚えています。
「自由」と「承認」の狭間で――クリエイターが向き合うべき「課題の分離」


さて、ここからは少し、私自身の領域である「創作活動」というフィルターを通して、本書の教えをさらに解釈してみたいと思います。
すべての悩みは対人関係の悩みであり、その対人関係のトラブルはどこから生まれるのか?
哲人は、それは「他者の課題に土足で踏み込むこと、あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること」によって引き起こされる、と説きます。



そして、そのトラブルを解決するための、シンプルかつ具体的な対策として提示されるのが、「課題の分離」という考え方です。
課題の分離とは、「その選択によってもたらされる結末を、最終的に引き受けるのは誰か?」という基準で、物事を「自分の課題」と「他者の課題」に切り分け、もし他者の課題であった場合には、一切介入しないーーという、かなりドライな対人関係の原則です。
例えば、
- 子どもが勉強しないのは、親の課題ではありません。
なぜなら、勉強しないことでもたらされる結末(成績の低下、将来の選択肢の減少など)を最終的に引き受けるのは「子ども自身」だからです。
親ができるのは、勉強がしたくなったらいつでも援助できる環境を整えておくことだけであり、無理やり勉強させるのは、子どもの課題への「介入」に他なりません。



さて、この「課題の分離」を、創作活動に当てはめてみると、どうなるでしょうか?
多くのクリエイターが陥りがちな落とし穴ーー
それは、「評価されるために創る」という思考です。
- 「いいね」がたくさん欲しい。
- たくさんの人に褒めてもらいたい。
- 自分の作品が認められなければ、価値がない。
これは、まさに「承認欲求」に支配された状態であり、「課題の分離」ができていない典型例です。



考えてみてください。
あなたが全身全霊を傾けて創り上げた作品。
その作品を、他者がどのように評価するか?
- 好きだと言うか、嫌いだと言うか。
- 褒めるか、けなすか。
それは、一体「誰の課題」でしょうか?
そう、それは紛れもなく「他者の課題」です。



あなたには、どうすることもできない領域なのです。
あなたがコントロールできるのは、ただひたすらに「自分が信じる最高の作品を創り上げる」、ということだけ。
つまり、「創作する」ということ、それ自体が「あなたの課題」なのです。
この分離ができていないと、クリエイターは不必要に苦しみます。
他者の評価という、自分ではコントロール不可能なものに、自分の価値を委ねてしまうからです。
評価されれば有頂天になり、評価されなければ絶望の淵に沈むーー
そんな不安定な綱渡りを、ずっと続けることになります。



アドラーの教えは、私たちクリエイターに、こう語りかけているように感じます。
「他者の評価など、気にするな」
「あなたはただ、表現したいという内なる衝動に従い、自分の課題(創作)にのみ集中すればいい」
「その結果として、誰かに嫌われたとしても、それはあなたが自由に生きている証であり、あなたの課題ではない」
そして、哲人はこうも言います。
「自由とは、他者から嫌われることである」
この言葉は、不特定多数からの評価に晒されるすべてのクリエイターにとって、勇気をもらえるような言葉になるのではないでしょうか。



承認欲求を断ち切り、ただ純粋な表現者として活動するための、力強い言葉です。
「評価」という他者の課題を切り捨て、「表現」という自分の課題に集中するーー
この「課題の分離」こそが、創作活動を続ける上で、自分らしく進み続けるための、唯一の指針となるのです。
「嫌われる勇気」を持って、自分の人生を謳歌せよ


私たちは、本書を通して、衝撃的な宣告の数々を浴びることになります。
- トラウマは、存在しない。
- すべての悩みは、対人関係の悩みである。
- 承認欲求を、捨てよ。
- 自由とは、他者から嫌われることである。
- とにかく今が大切、人生は「いま、ここ」の連続である。
その一つ一つが、私たちの常識を覆し、価値観を揺さぶる考え方です。
場合によっては、読み進めるうちに、怖気づいてしまうかもしれません。
しかし、これらの教えが最終的に指し示すゴールは、驚くほど温かく、希望に満ちています。



それが、対人関係の最終目標である「共同体感覚」です。
共同体感覚とは、他者を「敵」ではなく「仲間」と見なし、その仲間たちの中で「自分には居場所がある」と感じられる状態のこと。
その感覚を得るために必要なのことは、他者からの承認を求めることではありません。
「自分は、この共同体に対して、何ができるか?」
「自分は、仲間のために、どう貢献できるか?」
そうやって、自問し、実践することーー
つまり、「他者貢献」です。
そして、アドラー心理学における幸福の定義は、この貢献感に集約されます。
「幸福とは、貢献感である」
「自分は誰かの役に立っている」
この主観的な感覚さえあれば、他者からの承認など必要なく(他者からどう思われていようと、自分が「貢献できている」と感じられれば)、人は「いま、ここ」で、すぐにでも幸福になることができるーー



まさに、力強く、そして優しい結論ではないでしょうか。
「嫌われる勇気」は、あなたを縛る悩みや不安を断ち切るための、具体的な方法や考え方を授けてくれます。
それは決して、他者を無視して、自己中心的に生きることを推奨するものではありません。
むしろ、本当の意味で自立し、他者と対等な「横の関係」を築き、世界を「敵の住処」から「仲間の住処」へと変えるための、実践的な哲学です。
もし、あなたが今、対人関係に疲れ果て、自分の人生を見失いかけているのなら。
そして、あなたが「他人の人生」を生きるのをやめて、「自分の人生」の主導権を取り戻したいと願うのならーー
ぜひ、本書を読んでみて下さい。



そこには、あなたの人生を根底から変える、哲人との対話が待っています。
その対話の先に待つのは、他者の評価から解放された、どこまでも広がる自由な人生です。
だからこそ、他人の期待を満たすための人生は終わらせて、「嫌われる勇気」を胸に、あなただけの人生を「今、この瞬間から」始めましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
以上、村上 亮一でした。



ではでは、したっけね~!


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