村上 亮一試される大地、北海道出身の村上です。
東京で暮らすようになって、もう随分と経ちました。
15年近く、ですかね。
この街には何でもある。
美味しい食べ物も、最先端のカルチャーも、刺激的な人も。
それはもちろん、素晴らしいことだと思っています。
でも、たまに気がつくんですよね。
「あぁ、やっぱり匂いが違うな」と。
雨が降った後、ちょっとだけ空気が澄んだ瞬間があります。
そういうとき、ふっと北海道の匂いが思い出される。
あの、緑と土と木が混ざったような匂い。
あまり人工的なものが混じっていない、純粋な自然の匂い。
東京でも、公園の近くや、雨上がりの路地裏なんかで、ほんの少しだけ、あの感覚に近いものを嗅いだりします。
でも、やっぱり違う。
違いすぎる。
北海道で生まれ育ったということが、どれだけ贅沢なことだったか。
大人になった今だから、しみじみと実感するわけです。
故郷・弟子屈(てしかが)での思い出
私が育ったのは、弟子屈(てしかが)という町です。
道東にある、摩周湖と屈斜路湖を擁する、それはもう絶景の自然が広がる田舎町。
「読めないですよね」とか「聞いたことない」とか、それはもう言わなくていい。
そういうことが起こりがちな地名であることは、重々承知しています。笑
ともかく、そこで私の幼少期は育まれました。
春になれば、土の匂いと一緒に、草や木がいっせいに息を吹き返すような感覚がありました。
夏は、深い緑の匂いの中で、虫の声が響いて。
秋は、落ち葉と土が混じった、なんとも言えない複雑な匂い。
そして冬。
北海道の冬には、匂いだけじゃなく「音」があります。
雪を踏むたびに、ギュッという音がする。
あの音は、北海道にしかない言葉だと思っています。
言葉にならない感覚を、音で語ってくれるような、不思議な音。
雪が降り続けているときの静けさも、忘れられません。
世界から音が消えて、ただ雪だけが舞っている。
自分の呼吸音が、耳の中で大きく響く。
あの静寂の中に、なんだかとても大切なものが宿っているような気がして、子どもながらにじっと耳を傾けていたものです。
HSPにとって、最高の「揺りかご」
私はHSP(Highly Sensitive Person)です。
生まれつき、感受性が人一倍高い気質のこと。
音や匂いや光に敏感で、情報量の多い場所にいると疲れやすくて、でもそのぶん、ちょっとしたことに深く感動したり、細かいところによく気がついたりする。
東京で暮らすようになって、その繊細さが「弱点」に感じられることも、ないわけではありません。
人混み、電車の音、夜でも明るい街の光など。
むしろ、刺激が多すぎて、消耗する日が多い。
でも、そんなとき、北海道で育ったことが自分にとってどれだけ良かったのかを、あらためて思うんです。
自然の匂いの中で育つということ。
雪の静けさの中で、ぼんやり物思いにふけることができたということ。
視界に入るものが、山と空と木と雪ばかりだったということ。
HSPの自分にとって、あの環境は、本当に最高の「揺りかご」だったんだと思います。
刺激の多い場所に置かれた繊細な子どもは、どれほど消耗するのだろうか?
毎日、満員電車で通学したり、喧騒の中で生きる繊細な子どもは、どんな気持ちで日々を過ごしているのだろうか?
どのように成長するのだろうか?
……きっと、無意識の領域で、何かしらの生き辛さを感じているはず。
でも私は、静けさに満ちた自然の中で、のびのびと感受性を育てることができました。
今思えば、本当に幸運なことです。
幼少期に夢中になった「宝物」たち
そんな環境の中で、私が大切にしていた「宝物」がいくつかあります。
スーパーマリオの攻略本
そのひとつが、スーパーマリオの攻略本。
小さいけれど厚みのある、あの攻略本が大好きでした。
ステージの全体図だったり、敵キャラクターやアイテムのイラストと説明が、ぎっしり詰まっているような攻略本です。
私はその攻略本を、ゲームをしない時間にも手放せなかった。
ステージの全体図を、指でなぞるんです。
攻略本のページを指でなぞりながら、私はゲームの中にいた。
画面もコントローラーもなかったけれど、確かに冒険していたんですよね。
そして、登場人物や敵、アイテムのイラストなどを模写したり。
外に出かけるときも攻略本を持って行って、家の隣のおじさんに「これ見て!」と見せたりして。
おじさんが「へぇ、すごいね〜」なんて言ってくれたこと、なんとなく覚えています。
今思えば、あの頃から私は「イラストを見る」「絵を描く」「世界観に没頭する」ことに、人一倍喜びを感じる子どもだったんだなと思います。
ドラゴンボール全巻と鳥山明先生の絵
もうひとつの宝物は、ドラゴンボール全巻。
中古本を少しずつ買い揃えて、勉強机に並べていました。
目線の高さに、ちょうど並ぶように。
いつでも視界に入るように。
そうすることで、なんというか、安心できたんですよね。
鳥山明先生のイラストに囲まれている、あの感覚が好きだった。
そして、模写です。
ドラゴンボールを模写して、自分の漫画の構図の参考にしたりして。
漫画家になりたかったんです、当時の私は。
自分の物語を描きたくて、まずは鳥山先生を手本にしようと、大真面目に取り組んでいました。
ところで、模写しながら気がついたことがあります。
鳥山先生のイラストって、巻数が進むにつれて、少しずつ変わっていくんですよね。
初期の頃は丸みを帯びたような、どこか可愛らしい絵柄。
それが、段々と角ばってシャープになっていく。
トーンを多用していたのが、いつのまにか使わなくなっていく。
その変遷を、模写しながら追っていくのが、たまらなく楽しかった。
画家の「進化の軌跡」を手で感じるような感覚とでも言いますか。
今から考えると、なかなかマニアックな楽しみ方をしていた子どもです。笑
架空のゲームデザインと「創作の原体験」
鳥山先生の繋がりで言えば、トバルというゲームのキャラクターを描くのも好きでした。
「TOBAL No.1」という格闘ゲームで、キャラクターデザインが鳥山先生なんです。
格闘ゲームが好きだったから、まずゲームを遊ぶ。
それから、お気に入りのキャラクターを模写する。
また、ゲームを遊ぶ。
その繰り返しが、本当に楽しかった。
しかも私、架空の格闘ゲームのキャラクター選択画面を描くのも大好きでして。笑
実際には存在しないゲームのキャラクターを自分でデザインして、選択画面のレイアウトまで考えて描くんです。
そのキャラクターが選ばれた後の画面はどうなるのか?
どんな動きをするのか?
必殺技は何か?
そんな想像をふくらませながら描くのが、楽しくてしょうがなかった。
誰かに見せるわけでもなく、ただ自分だけのために描き続けてました。
今思えば、あの行為こそが「創作の喜び」の原体験だったんじゃないかと思います。
誰かに評価されるためではなく、ただ楽しいから作る。
その純粋な動機が、今の創作活動の根っこにあるような気がしてなりません。
言葉にならない感情を知った日
さて、ここで少し、暗い話をさせてください。
小学生の頃のことです。
下校中に、宗教の勧誘に出会いました。
女性から何らかの説明を受けて、冊子を渡されたんです。
今となっては、その宗教が何だったのか、どんな内容だったのかも、ほとんど覚えていません。
ただ、絵本みたいな冊子だった、ということだけ覚えています。
絵本みたいな冊子。
子どもの私にとって、それは「宝物になるかもしれないもの」でした。
胸をドキドキさせながら家に帰って、すぐに母さんに見せました。
「これ、もらったよ!」
そして、次の瞬間……
母さんが激怒しました。
冊子を破いて、ゴミ箱に捨てて、大声で怒鳴ったのです。
私は、何が起きたのか、全くわかりませんでした。
ただ、悲しかった。
ショックだった。
そして、怖かった。
なぜ怒られたのか、説明もなかった。
いきなり激怒されて、大切にしようと思っていた「絵本のようなもの」をゴミ箱に捨てられて、私はしばらくの間、泣きながら自問自答を繰り返しました。
どうしてダメだったんだろう?
何が悪かったんだろう?
……何度考えても、答えは出ませんでした。
今なら、宗教のセンシティブな側面は理解できます。
母さんが激怒した理由も、大人の目線で見れば、わからなくはない。
でも当時の私には、ただ「悲しかった」という感情しかなかった。
言葉にならない感情、というものが確かにある。
あの日の気持ちは、まさにそれでした。
うまく言葉にできないまま、ただ悲しくて、怖くて、泣き続けた。
その記憶は、三十年近く経った今も、どこかずっと残っています。
根っこがあるから、どこへでも伸びていける
環境が人をつくる、と思います。
これは、本当にそうだと思う。
北海道の自然の中で育ったことが、HSPの私の感受性を守ってくれた。
攻略本を指でなぞり、鳥山明先生の絵を模写し、架空のゲームを描き続けた日々が、「創作する人間」としての私の基礎をつくった。
そして何より、あの日の「言葉にならない悲しみ」は、私の中に「言葉を探す習慣」を植え付けたのかもしれない。
うまく言葉にできなかった感情を、なんとか形にしようとする衝動。
それが、文章を書くことへの興味につながっているような気がします。
もちろん、自由を許してくれた両親のおかげでもあります。
あの環境で育ててくれたことへの感謝は、言葉にしきれない。
でも同時に、「環境だけじゃなくて、その環境の中で何に夢中になったか」も、人をつくると思っています。
私の場合、自然の中で、ゲームと絵と物語に没頭した。
その体験が積み重なって、今の自分がいる。
東京の空気を吸いながら、ふと思い出す、雪の匂い。
あの匂いは、私の根っこの部分にまだ残っています。
おそらく、一生残り続けるのだと思います。
それで、良いと思っています。
根っこがあるから、どこへでも伸びていける。
これからも、納得感のある自分軸の人生を謳歌するため、追求を続けたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
以上、村上 亮一でした。



ではでは、したっけね〜!


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